【PR】5年で5回の乳がん手術…女優・生稲晃子が明かす発覚から闘病生活まで

AKIKO IKUINA

生稲 晃子

2017.07.12 Wed

左から、川口満里奈さん、生稲晃子さん、日本生命商品開発部長・鹿島紳一郎さん

2011年に早期の乳がんがみつかり、2度の再発と乳房の全摘出までの壮絶な闘病記を告白した生稲晃子さん。4年8カ月で5回の手術を行った闘病生活のなかで、家族や仕事とはどう向き合ったのか。日本生命商品開発部長の鹿島紳一郎さんから最新のがんに関するデータを説明いただきながら、フリーアナウンサーの川口満里奈さんが話を聞いた。

取材&文・平原悟/写真・村田克己/衣装「Yukiko Hanai」(生稲さん)
がんの数字は「NISSAYデータブック2017」「日生病院監修 がん読本」より

超音波検査で異常が発覚

川口 さっそくですが、生稲さん、乳がんが発覚してから治療にいたるまでの経緯をお聞かせいただけますか。

生稲 告知を受けたのは2011年でした。その前年にたまたま自治体の検診を受けるのを忘れてしまって、医師の友人から「いい機会だから人間ドックを受けなさい」とすすめられたんです。マンモグラフィーでは異常は見つからなかったのですが、超音波による検査で異常が発覚。それから検査を繰り返して、3月の終わりに「悪性の腫瘍があります」と告げられました。

川口 たまたま受けた人間ドックで乳がんが発見されたわけですか。

生稲 医師の友人に「あのとき、来年でいいやと放置していたら、お嬢さんはお母さんがいない子どもになっていたかも知れないよ」といわれました。口調は冗談交じりでしたが、私にはとても重い言葉に感じましたね。

5歳の娘にどう伝えたのか

川口 がんと告知を受けられた瞬間のことは覚えていますか。

生稲 ただただショックでした。でも、不思議と涙は出ないんです。まるでドラマのワンシーンを撮影しているような感じで。恐怖というより、明日から自分の人生はどうなるんだろう、と漠然と考えるのがやっとでした。

川口 お仕事もされていたわけですが、周囲にはどのように伝えられたのですか。

生稲 家族以外で私ががんになったと伝えたのは所属事務所の社長と現場のマネージャー、あとはレギュラーをつとめていたテレビ番組『ちい散歩』のプロデューサーさんだけです。みなさん驚かれていましたが、社長には「突然話があると言われたので、そうかもしれないと思った」といわれました。長い付き合いですから予感がしたのでしょうね。

鹿島 がんと伝えられた生稲さん、そしてご家族のお気持ちを考えると胸がいたみます。とくにお子様への伝え方は難しかったのではないですか。

生稲 そうですね、当時娘は5歳でした。本当のことを伝えるべきかすごく迷いましたが、娘にも母親の状況を知っていてほしいし、この子なら理解してくれると思い、「ママのおっぱいのなかには悪いものがあって、それをとらないとママは死んでしまうかも知れないの」と伝えました。娘は「ママが入院するのはいや、死ぬのもいや」と泣いていましたが、その泣く姿を見て、小さいながらも理解してくれたんだと安心したのを覚えています。

正直、死も意識した…

川口 生稲さんは結果的にがんが2013年に再々発して右胸を全摘出されました。とてもつらい決断だったと思いますが、自分の気持ちをどのように整理してこられたのですか。

生稲 再々発を知ったときは正直、死も意識しました。自分が死んでしまったら子どもはどうなるのだろう、と思うと心が折れそうでしたね。でも、子どものことを考えたことで、自分は絶対に生きなければという思いが強くなり、気持ちを奮い立たせることができた気がします。実は全摘手術の直前、娘が行きたがっていた近所の銭湯に行きました。娘がはしゃぐ姿を見て、うれしいと同時に銭湯に行くのもこれが最後かな、と寂しくなりましたが、それは今も忘れられない思い出です。その後も温泉には何度か行きましたが、たまたまほかのお客さんが入っていると娘が私の前に立って治療した胸をかくすようかばってくれて。すごくたくましくなったと思いましたね。

川口 がんといえば、私の身近でも母の友人に乳がんになった人がいます。鹿島さん、女性のがんや乳がんの罹患率や再発率はどれくらいあるのでしょうか。

鹿島 データによると、がん罹患者数は2010年には約87万人でしたが、2012年には約95万人に増えました。これは、検診を受ける人が増えがんが見つかる事が多くなっていることもありますが、一説には食生活などの影響もあると言われています。また、一生涯のうちにがんと診断される人の割合は女性の約46%、およそ2人に1人という調査結果もあります。そのなかでも、女性が罹患したがんのうち乳がんと診断される方が最も多く、約20%となっています。

川口 生稲さんは4年8カ月の間に2回の再発と5回の手術を経験されたそうですが、乳がんの再発率はどのくらいあるのですか。

鹿島 乳がんですと、術後10年以内に再発する割合は23%で、およそ5人に1人が再発していると言われています。

生稲 私も自分ががんになるまでは、まさかそんなに多いとは知りませんでした。人ごとだと思わず、健康診断も真面目に受けなければいけないんですよね。

川口 本当ですね。ところで生稲さんは当初はがんであることを周囲に告げずにいましたが、全摘された直後に公表されましたね。なにかきっかけがあったのですか。

実際に公表してみると…

生稲 もっと早い段階で公表することも考えたのですが、当時出演していた『ちい散歩』は健康番組でしたから、私が「がんです」と公表すると、番組に迷惑をかけるのではないかと思ったんです。でも5年弱が過ぎて、全摘をして再建に向けた治療が始まったことで気持ちが変わりました。それまでは、まだ治療が続くのかとネガティブなだけの状態でしたが、再建が始まってからは逆にプラスに考えられるようになったんです。せっかく生きるか死ぬかの病気になったのだから、そのことをお伝えすることで誰かの気持ちを楽にしたり、勇気づけられるかもしれない。だとすれば、がんになったことが私にとっても無駄なことではなかったと考えられる。そう思って自分が経験した苦しさやうれしかったことを公表することにしたのです。

川口 実際に公表した後の周囲の反響はいかがでしたか。

生稲 予想を超える多くの方から励ましのメッセージやお手紙をいただきました。なかには私より重い症状の方もたくさんいらっしゃいましたが、その方たちが「大変でしたね、頑張りましょう」と書いてくださって、ありがたくて涙が出ました。私の場合、治療の痛みよりも、周囲に隠し事をしているという精神的な苦痛が大きかったので、公表したことですごく楽になりましたし、お話ししてよかったなと思いましたね。

川口 そうした苦労があるなかでは、ご家族の支えはとても大きな力になったと思いますが、いかがでしたか。

生稲 実は私のがんがわかったとき、義父も悪性リンパ腫で余命数カ月という状態で、私が最初に手術をしたのと同じ月に亡くなりました。一度だけ夫が「俺が悪いのかな」とぼそっと言ったことがありましたが、多分相当つらかったのではないでしょうか。それでも手術で入院した際はほとんど毎日病院に来てくれました。本当に感謝しています。ただ、日常的には、私ががんになったからといって特別扱いはしてくれませんでした。手術の前で精神的に不安定なときに、夫もお酒を断つなど願掛けしてくれてもいいと思うのですが、一切ありませんでした(笑)。でも、それがかえってよかったと思っています。家のなかでやる仕事があるということは私が必要とされているということで、「がんに負けちゃいけない」と思えましたから。その意味でも生きる力を家族が与えてくれたと思います。

鹿島 普通通りにするというのが、実は難しいのかもしれませんね。

川口 がんを隠しながらお仕事をされていたときも、それ以前と同じように振舞わなくてはいけないですよね。ご苦労も多かったと思いますが。

生稲 そうですね、手術をして退院後すぐに仕事をしていました。衣装の着替えなどで腕を動かすときなどは痛みがありましたが、周囲に気づかれないようにするのは大変で、「四十肩で腕が上がらないんです」とごまかしていました(笑)。2度目に再発したときは「死ぬかも知れない」と考えた時期もあり、精神的につらかったです。仕事場では平常心を保つよう心がけていたのですが、それは体の痛み以上に負担が大きかったかもしれません。

川口 そんなご苦労があったのですか。生稲さんに限らずがんに罹患された方は仕事と治療の両立に悩まれる方も多いのでしょうね。

治療と仕事を両立するために

鹿島 がんになっても引き続き働けるように企業が配慮することを盛り込んだ“改正がん対策基本法”が、2016年12月に成立しましたが、いまだに仕事を辞めざるを得ない方も少なくないようです。治療に専念するという理由もあるでしょうが、職場に迷惑をかけるかもしれないという気持ちや、体力・勤務環境を心配される方も多くいらっしゃるのが現実のようです。

生稲 私もがんになって、仕事を辞めざるを得ない方が非常に多いことを知りました。キャリアを失うことは大変つらいことだと思いますね。仕事を続けるとしても周囲に迷惑をかけないようにしなければいけないという精神的な苦労もあるでしょう。家計を支えるために一生懸命頑張っている方にとっては、大変なご苦労だと思います。

鹿島 治療と仕事を両立させるには強い気持ちがないと続けられないと思いますし、周囲のサポートも必要でしょう。仕事を続ける場合でもフルタイムで働けなくなれば経済面で厳しくなるケースは少なくありません。

生稲 私は病気の治療をしながら仕事を続ける人達の代表として、政府の『働き方改革実現会議』に参加させていただきました。そこでは、病院と会社が連携を取り、患者さんが闘病している間“このような仕事内容なら働き続けられるのではないか”といったアドバイスをするなど、周囲の理解がより深まるための体制を提案させていただきました。闘病中も仕事を続けることで、生きがいをもてますし、治療に対しても前向きになれるのではないでしょうか。

川口 さまざまな思いを抱いて働きながら治療を続けている方にとって、生稲さんがこうして頑張っている姿を見ることは大きな勇気になっているだろうなと感じました。

生稲 そうであれば非常にうれしいですし、自分が笑っている姿を見ていただくことで、今はつらくてもいつかは笑える日がきっと来ると思っていただければ、それが一番の幸せですね。

後編はこちら

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生稲 晃子(いくいな あきこ)

1968年生まれ。86年にアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして芸能界デビュー。グループ解散後は女優、タレントとしてテレビや舞台で活躍。主な出演番組に『キッズ・ウォー』(TBS系)シリーズ、『ちい散歩』『若大将のゆうゆう散歩』(ともにテレビ朝日系)など。乳がん闘病を綴った「右胸にありがとう そして さようなら」(光文社)発売中。2016年9月「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出される。