又吉直樹の『劇場』を読んで、佐藤優氏が感じたこと

人間の本性とはなにか、という問い
佐藤 優 プロフィール

なぜ人は人を傷つけるのか

〈「なんでそうなるかわからないよ」

そう言った沙希の顔が電源を切ったテレビの画面に暗く映っている。青山から聞いた話を沙希に話しているうちに怒りが抑えきれなくなり不満が口から溢れだしたが、なにに怒っているのか自分でも今ひとつわからなかったので、「自分で考えてみろ」と同じ言葉を繰り返したり、長い間黙ったり、とにかく僕は自分でも驚くほど冷静さを欠いていた。

「私が永くんを馬鹿にするわけないよ」

「自分がそう思ってても、たとえ悪意がなくても人を傷つけることもあんねん。その了解の範囲がお前は狭いねん」〉

〈悪意がなくても人を傷つけること〉 がどうして起きるのか。この点に関して、イエス・キリストは、「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」(「マルコによる福音書」7章20~23節)と強調した。

 

人の中から出てくるものの中に言葉もある。人間には罪が内在している。この罪は、悪という形をとって現れるのだ。永田と沙希のやりとりの続きを見てみよう。

〈「なんで、絶対馬鹿になんてしてないよ。一番すごいってわかってるから」

沙希は切実に訴えてくるから、余計に惨めになる。一番すごい? そんなわけがない。その言葉が僕に重くのし掛かる。(中略)

自分の悪い所なんていくらでも言える。才能のないことを受け入れればいい。嫉妬している対象の力に正々堂々と脅えればいい。理屈ではわかっているけれど自分では踏みきれない。人に好かれたいと願うことや、誰かに認められたいという平凡な欲求さえも僕の身の丈にはあっていないのだろうか。

世界のすべてに否定されるなら、すべてを憎むことができる。それは僕の特技でもあった。沙希の存在のせいで僕は世界のすべてを呪う方法を失った。沙希が破れ目になったのだ。だからだ。

「お前のせいやろ」

「えっ」

沙希は深刻そうに溜息をついた。

「わかんないよ、なんでだろう。ちょっと待ってね、考えるね、待ってね」〉

言葉は難しい。本人が無意識の中で抱いている悪意が言葉によって具体化されてしまうことはよくある。他者を傷つけるのは人間の本性だということをよく自覚しておく必要がある。

劇場

週刊現代』2017年7月8日号より