「四大証券」の一角、山一證券が自主廃業したのは、会社創立100年にあたる1997年のことだった。それから20年、「モトヤマ」と呼ばれる元山一證券社員は、いかにして再起を図ったのか。
嘉本隆正は、山一證券が1997年に自主廃業した直後、社内調査委員会を組織して破綻原因を追及した硬骨の元常務である。
大混乱のさなか、彼らは土日を返上し、事実解明と公表のために無制限の残業を続けた。初めの3ヵ月間は無給である。私は彼とその仲間たちの悪戦を、『しんがり――山一證券最後の12人』(講談社)に描いた。それからしばらく経った2015年のことである。
その本の中で、嘉本たちがまとめた106ページの社内調査報告書を、山一の元支店長たちのところへ送った――と書いたところ、嘉本の自宅に電話があった。18年前の海外支店長からだった。
「私には報告書は届きませんでした」
嘉本は、自宅に残っていた調査報告書を本人に郵送した。すると、元支店長からまた電話がかかってきた。不思議な気持ちにとらわれた、というのだ。過去から届いたもののように、山一證券の茶封筒が届いたからである。
それを開封すると、調査報告書と嘉本からの手紙が入っていた。それで彼はすべてを理解した。嘉本は自宅にしまっていた山一の茶封筒に調査報告書を入れて送ったのだ。
「18年ぶりにすべての仕事を終えたような気がした」と嘉本は言った。
その話を聞いて、私はもう一度、山一の元社員と家族の間を訪ね歩き始めた。『しんがり』で描いたのは12人だが、消滅した企業の影を引きずって、あるいは断ち切って生きる人々の物語を書きたいと思った。
彼らは何を支えに、その後の人生をどう生きているのか。可能な限りの元山一の社員や家族に会いたいと思って、面談したり、アンケートをお願いしたりしたモトヤマ(元山一)は100人近くに上る。
ロシアのある作家がこう書いている。
〈一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です〉
その言葉を借りるなら、モトヤマによって語られることは日本企業とサラリーマンの歴史に他ならない。
破綻から20年目を迎えるのを機に、山一の元役員と最後の組合書記長、そして地方支店の元女性社員という、立場の異なる3人の再起の物語を紹介しよう。人間というものは前向きに作られている、ということを信じてもらえるだろう。(次ページに続く)