築地市場を「第二の新国立競技場」にしてはいけない

徹底議論・築地再生は可能か
中沢 新一, 森山 高至

われわれはなぜ刺身を食べるのか

中沢 私は築地市場の立地や建物の構造にも、大きな意味があると考えています。

現在の築地市場の建物が完成したのは1934年のことですが、建築を担当した当時の専門家たちは、世界中の市場をいろいろ調べに行ったようです。その中には、フランクフルトの市場とか、ニューヨークのブロンクスにある魚市場とか、川べりに建っているものはいくつかあった。しかし、日本の「魚河岸」のような、海に直接面している巨大な市場はありませんでした。

築地がなぜ日本文化にとって重要な場所になっているかというと、それは海にじかに触れている市場だからです。

日本文化のひとつの特徴として、自然界から取り出してきた魚介を食べる場合に、なるべくそのままの形で食べることを好む、という点が指摘できます。これは歴史的にも非常に古くて、日本人の食生活の原型は弥生時代の頃に形成されたと考えられますが、弥生人の生活は、水田耕作でお米を作ると同時に漁もするという半農半漁が基本で、つまりお米と魚が中心になっている。特に魚に関しては、なるべく新鮮なものを自然界から取り出してきて、新鮮なまま直接取り込むという文化なんですね。

対照的に、日本には動物の肉にしても魚介にしても、鍋や壷などの土器でグツグツ煮込んでしまう料理もあります。ただ、こうした煮込み料理は縄文時代はたいへん好まれていたんですが、弥生時代になると、海産物を直接摂取する食べ方が台頭してくるわけです。

その後、この生食と煮込み料理の文化は二本立てになって現在に至るのですが、いまだに日本人は、たとえどんなに山の中で海産物を手に入れにくくても、お祭りの日には必ず魚介を食べる。しかも煮込んだりせず、加工せず、生で食べるということが重要だとされている。

自然界のものが人間の文化に接触してくる。その接触点で、なるべく手を加えずに利用するというやり方を、日本人は自らの文化の根幹にしてきました。これをレヴィ=ストロースは「ディヴィジョニズム」と呼びました。日本人の特徴をよく表した言葉だと思います。

 

食材を煮込むと、混ざり合ってしまいますよね。でも、日本食の場合は生の魚を切り分けて並べ、分割した状態で食べる。醤油やわさびを使うようになっても、「醤油にわさびを溶いてはいけない」というルールが生まれるほどです。

この「混ぜないで食べる」という文化は、弥生時代から発展してきた日本人の食生活の根幹にかかわるもので、日本食のもつ繊細さや複雑さ、視覚的な美の源泉にもなっているわけですが、そうした日本文化の本質が、まさにこの築地には凝縮されていると思います。

市場の構造に話を戻すと、築地市場と、築地市場の原型となった日本橋魚河岸は、どちらも海からやってきた船が直接河岸へ接続する構造になっています。日本橋魚河岸では、魚を載せた平船という船が接岸し、降ろした魚を仲買人が板船と呼ばれる長い板に新鮮なまま並べて売るという方式をとっていた。こうした「自然界との接触点を保つ」という商売のやり方は、現在築地とその周辺で行われている割烹、飲食店などへの商品の流れを見ても、いまだに大きな影響力を保っていると感じます。

先ほども話に出たように、現在では、築地市場へ持ち込まれる食材はグローバルです。世界の食材と日本の食材が集約され、ゴチャゴチャに混在してしまうことなく、きれいに整頓されていく。そういう意味でも、築地市場のような空間は類例がありません。

森山 たしかに、築地市場の空間そのものがひとつの象徴になっていますね。おそらく、築地という場所さえ残せばいい、そこにただ商品が並んでいればいいというわけではない。それぞれのセクションが細かく分かれているということ、そこに個々の食材が並んでいるということが重要なんでしょう。

中沢 「混在しない」「個別のものがたくさん並ぶ」という日本文化の重要な特徴が、市場内部の空間に現れているわけですね。

「暗黙知」はカネに換算できない

森山 日本の場合は建築でも、土壁には土やワラが使われているとわかるし、木の柱も木目をそのまま表面に出すとか、素材を見せますよね。建物全体をペンキで塗りつぶすようなことは、あまりやらない。中沢先生のお話で思い出したのは、例えば盆栽なんかも自然のものに手を加えるんだけど、なんというかこう、自然との「出会い頭」を形にするというような感じじゃないですか。

考えてみると日本人は、自然のものを加工して人工物に作り変えてしまうのではなくて、文明の中に「自然の切り身」みたいなものをポンポンと並べて、それを鑑賞したり楽しんだりする、ということを随所で行なっていますよね。

中沢 そうした日本人の暮らしの形態が、築地市場にも無意識のうちに現れています。外国人は、日本人と自然の「出会い頭」——いま森山さんはうまい表現をされましたけど、その出会い方にこそ驚嘆しているわけですね。

築地市場が老朽化していて汚いというのは、確かにその通りです。ただ、こうした文化を全部取り除いてしまって、市場としての流通機能だけを豊洲の新しい市場に移した場合、これはものすごく大きな損失になると思います。築地市場は日本橋魚河岸に連なっていて、さらにその日本橋魚河岸の文化は、実は中世の大坂にあった「雑喉場(ざこば)」の文化に連なっている。ものすごく地層が深いんですよね。

森山 ほんの数年間の判断で、数百年にわたる堆積物を失ってしまうかもしれない。

中沢 築地の文化は、その多くが「暗黙知」です。言語化されていないし、またそれを声高に語る人もいなかった。市場で働いている人、市場に出入りする人たちが暗黙知を無意識に蓄積している。この暗黙知という膨大な資産を、金銭的価値に換算する方法はありません。

築地の価値は単なる流通機構だけではなくて、それを包み込む大きな文化にもあるんだ、ということを無視してしまうと、その時に失われるものを、日本人はもう二度と取り返すことはできないでしょう。

「材木市場」が衰退した理由

森山 東京には江戸時代から木場と呼ばれる材木市場・貯木場があります。これも1970年代に木場から新木場に移転していて、確かに機能はしているんですが、かつて木場にあった時代と比べると、あまりうまくいっていません。

なぜかと言うと、材木というのは「おじいちゃんが準備したものを孫が売る」というくらいで、魚とはまったく逆に、商品が売れるのは何十年後、というような考え方なんですよ。乾燥にも時間がかかるし、最近は技術が進んで早く乾かすこともできるけれど、床柱や床板に使うような銘木になると、そうもいかない。そもそもそういう銘木自体が減っているという要因もあるんですが、何代にもわたって手間暇かけた材木をようやく売ろうとしても、買い手がいないんです。

住空間の中に昔ながらの「木の文化」を積極的に取り入れようという建築家が減っていることに加えて、業者の側にも、木に関する知識がなくなっている。いい木を見分けたり、この部分にはどの木を使えばいい、というような。

木場が衰退してしまっているのは、海外から安い輸入材がいっぱい入ってきたからだけではなくて、業者や関係者の木に関する知識、語彙が失われてしまっているからではないか、と思うんです。単に流通の構造が変わったから衰退したという話ではなく、経済と文化が同時進行で失われているんですね。

魚市場も、豊洲市場に無造作に移ってしまった場合、おそらく同じことが起きるでしょう。業者が魚の名前も、食べ方もわからなくなっていく。

中沢 築地の仲卸業者は、魚の良し悪しを瞬時に見分けています。あの技術は肉体的なもの、反射的なものですよね。

森山 しかも、そこで大きなお金が動くところがまた面白い。趣味の世界でいいものを見極めるだけなら、それは薀蓄ですけど、仲卸業者の場合は、目利きが何百万円という売り上げに直結する。おそらくそういった部分が築地のすごいところだし、築地市場が日本人の生活に根差しているということの意味ではないでしょうか。

中沢 仲卸業者の皆さんを見ていると、せりが始まる前は冗談を言ったり雑談をしたりしていますが、始まった途端にものすごい緊張感が走るわけですね。

やはり、せりというのは、大きな額のお金を一瞬の判断で動かすわけだから、ギャンブルにも通じる部分があるでしょうし、きっとアドレナリンがものすごく出ている。こうした部分は合理化できないと思うんです。つまり、人間の生理もすべて含めて、築地なんだと思います。

森山 見ているだけで緊張感が伝わってきますよね。切った張ったというか、後悔する間もなく「はい次!」って魚が来るじゃないですか。一種のお祭りのようにも見えますよね。