このように、沖縄の暴走族、ヤンキーの若者、そしてその多くが就く建築業では、先輩と後輩の強い関係が存在する。
そしてこれは、沖縄の文化に由来するものではないということがわかってきた。
沖縄の建築業が内地のゼネコンに収益を吸い上げられる過程で、それでも生き残るためにできあがったものである。
建築会社は地元の後輩を積極的に囲い込む必要があった。ゆえに後輩が刑務所に行こうが、少年院出のやんちゃな若者であろうが雇った。雇う側も雇われる側も、お互いを利用しているのだ(※1)。
そして、私のパシリになるという取材の方法(※2)も、このような上下関係を基軸とする集団を調べる際に適合的であった。
カラオケで先輩たち(といっても私より年下だが)がいつも歌っている曲を予約し、飲み屋に行ってお気に入りの銘柄の泡盛を先輩の酔っ払った程度に合わせてつくり、いつもの下ネタで場を盛り上げる。
これは私が中学時代から身につけてきた技術であるという意味では、「職人芸」かもしれない。
沖縄の暴走族、ヤンキーの若者たちに対して、公式なものや中立的なアプローチだと、取材はうまく進まなかっただろう。
ただし取材の方法が取材対象の社会の仕組みとマッチするものであったという点では、どの取材でも誰でもがやっているアプローチ法といえる。
要するに、沖縄の暴走族、ヤンキーの若者を取材するには、パシリになるという方法が適合的であり、それは同時に私の身体性と適合的であったということなのだ。
結果として、対象社会と私の身体性はうまくあわさったので、10年といわず、あと20年、30年と追いかけていこうと思う。