「ヤンキー先生」とは一体なんだったのか? 疑わしき「熱血」の正体

義家弘介・文科副大臣の過去を解剖する
後藤 和智 プロフィール

「ヤンキー先生」として売り出し、保守化

その後も義家は北星余市高校時代に培った「ヤンキー先生」のイメージを活用し、教育問題での論客やラジオパーソナリティーなどとして活躍してきました。

とはいえ義家も、しばらくの間は、戸塚ヨットスクールの戸塚宏に対して体罰反対の立場を取っていたりしました3

そんな義家の転換点となったのは、第一次安倍晋三政権が鳴り物入りで発足させた「教育再生会議」でしょう。

 

2006年10月18日、当時の安倍晋三政権の目玉政策である「教育再生」を実現するための組織として、同会議は発足しました。義家はそのメンバーの一人に入っていました4

当時、義家がメンバー入りしたことに対し、保守系の教育団体である「日本教育再生機構」(代表:八木秀次・高崎経済大学教授——当時)は、

《国旗・国歌や教育基本法をめぐって『しんぶん赤旗』や『世界』で左翼的主張を繰り返してきた義家弘介横浜市教育委員が、事務局の担当室長に就任したことには強い疑問を抱かざるを得ません》と非難、これに対して義家は《母校と決別(退職)するところから、人生を賭ける覚悟をもって横浜市の教育委員になる選択をしたのです。そうでなければ、首相の再生会議に入るはずはないでしょう》

と自らの熱心さを強調して反論しました5

しかし義家は、翌年に安倍晋三首相から参議院議員選挙への出馬を打診されると、あっさりとそれに従って教育再生会議を辞めてしまいます。このような義家のスタンスには、自民党内からも、当時の伊吹文明・文部科学大臣の「私なら職を全うした」との非難があったといいます6

またこの出馬により、義家が出演しており、法務省が用意していた「社会を明るくする運動」のPRビデオの上映会が7月に予定されていたのが、公職選挙法との兼ね合いから使用自粛を呼びかけられました。

犯罪・非行の防止を目指して国などが実施している「社会を明るくする運動」のPR用ビデオについて、法務省が、全国の保護司会などに配布した約1万本の使用を自粛するよう関係機関に要請したことがわかった。ビデオに出演している「ヤンキー先生」こと義家弘介氏(36)が今月の参院比例選に自民党から出馬することになり、「特定の政党、候補者を応援しているとの誤解を招きかねない」と判断したため。同省の予算による制作費約840万円が無駄になる可能性も出てきた。(2007年7月5日付読売新聞)

さらに義家は、少し遡って2007年2月、自身がパーソナリティを務めていたFMヨコハマの番組「Y-Y-Y」が配信していた「着ボイス」で、《「携帯に出ないやつは出席停止だ」「メールを見たやつは出席停止だ」》というものがあったことが問題視されていたりしました7

他にも、そもそも教育再生会議に呼ばれるきっかけとなった横浜市教育委員の仕事も、元々「汗をかく教育委員」として横浜市内の小中学校及び聾学校(当時)全520校を回ると公言されていたのが、実際には義家一人ではなく複数の委員が分担するもので、義家は40数校しか回っていないこと8や、義家が出馬したことに対して北星余市高校の恩師が義家を「糸の切れたタコ」と評した記事もありましたが9、義家は参議院議員に当選しました。

議員になった義家は、急速に自民党文教族系の立場に近づいていきます。2008年、当時の中山成彬・国土交通大臣が全国学力テストの結果を受けて《「大分県教委の体たらくなんて日教組(が原因)ですよ。日教組の子供なんて成績が悪くても先生になるのですよ。だから大分県の学力は低いんだよ」》10と発言。

その後これを撤回するも、自民党の教育関係議員は同年12月10日に「日教組問題を究明し、教育正常化実現に向け教育現場の実態を把握する議員の会(日教組問題究明議員連盟)」を発足させ、義家は幹事長として名を連ねていました。義家は《「日教組の問題点は、教育委員会と密接につながっている点にある」》11という認識を持っていたといいます。