「ヤンキー先生」とは一体なんだったのか? 疑わしき「熱血」の正体

義家弘介・文科副大臣の過去を解剖する
後藤 和智 プロフィール

もともとは「リベラル」だった

義家が初めてメディアに出たのは2002年のことです。

当時義家は、北海道で不登校者を積極的に受け入れ、彼らを育ててきた「北星学園余市高等学校」の教諭でした。そして、義家は北星余市高校が不登校者を受け入れるようになってから最初の学年の卒業生でした。

自身もかつて問題を起こして北星余市高校に預けられ、そこを卒業し、大学時代に元々弁護士志望だったのが、交通事故を経験して人生観が変わり、母校に恩返ししたいという動機で同校の教諭になったといいます。

そのことを、全日本教職員組合(全教)の雑誌『クレスコ』2002年6月に書いたのが、義家のメディアでのデビューでした。

 

2003年、義家がモデルとなったドラマ『ヤンキー母校に帰る』が放送され、また義家も『不良少年の夢』(光文社)や『ヤンキー母校に帰る』(文藝春秋)などの著書を出すようになりました。義家は「ヤンキー先生」として瞬く間にメディアの注目を浴びたのです。

その中でも今になっては考えられないのが、『世界』などの左派系のメディアで発言していたことです。同誌2004年4月号の特集「『日の丸・君が代』戒厳令」においては特集のトップにエッセイを寄稿し、自身の経験を踏まえつつ、国旗・国歌の強制に反対していました。

北星余市高校の式典には、「日の丸・君が代」、それにまつわる一切の制約は存在しない。それは偶像崇拝を禁じているキリスト教主義の私立高校である本校のスタンスである。
(略)
私が学校という教育現場から問いたいのは、出口の見えない暗闇で子供たちが悲痛な叫びを上げている現実の中で、教育現場に「日の丸・君が代」を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると、文部科学省は本気で思っているのか、ということである。自分たちの叫びが届かないばかりか、唯一の頼りである教師たちが分裂しいがみ合っている学校を、彼らはどうやって愛すればいいのか。そして、教師たちの分裂を押しつけている国に対して、将来の希望さえ示してくれない国に対して、どうやって信頼や誇りを持てというのか。
(義家弘介「なあ、みんな、学校は好きか?」、『世界』2004年4月号、pp.71-72)

そんな義家ですが、2005年、自身のウェブサイトで、突然母校である北星余市高校を辞めることを言い出します。

当時から義家のまわりでは、義家は講演ばかりして稼いでいるという噂がPTAやOBの間で流れ、同僚の教師の間でも副業として非難されていたといいます。

義家はこれらの噂や非難を事実とは異なると思っていたようですが、そのような噂が流れることに対して義家は辞職を決意したといいます2