「たいめいけん」三代目シェフが明かす、ガングロチャラ男の矜持

第18回ゲスト:茂出木浩司さん(前編)
島地 勝彦 プロフィール

週2回の日サロ通いで全身真っ黒に

島地: 日本橋でその暮らしぶりですから、今なら「セレブ」と呼ばれますよ。でも自由気ままに遊び呆けていながらも、将来は家業を継ぐという意識は心のどこかにあったでしょう。

茂出木: 意識するまでもなく、生まれた時から決まっていたようなものです。高校卒業後に渡米し、数店のレストランで修行しまして、三代目を継いだのが1994年、27歳のときでした。あれから20年以上経ちましたが、自分なりに精一杯やってきたつもりではいます。

日野: ところで、全身編集長も全身料理人も、ちょっと色が黒すぎませんか? どっちも社会一般の認識だとインドアの職業で、色白の人が多いと思うんですが、どういうことでしょう。

島地: ははは、確かにな。自分は地黒というのもありますが、茂出木さんは?

茂出木: サーフィンと日焼けサロンですね。サーフィンは中学の頃からやっていて、日サロは18歳のときから。それからずっと週2回のペースで通ってます。

島地: 18歳から週2回の日サロ通いとはすごいね。太陽とマシンのハイブリッド焼けというわけですか。これはかなわない。

日野: 意地で黒く焼き続けているような部分もあるんでしょうか?

茂出木: ぼくらが10代の頃は「サーフィン=オシャレ・モテる神話」が生まれた頃なので、単純に「色黒のサーファー=モテる」という思い込みからひたすら焼いてました。そのうちに日サロ通いが日課になって、今ではマシンを使いながら日焼けするのが仕事になったりしているので、もう黒くない自分は想像できません。

島地: 日本橋の歴史ある洋食屋の三代目となれば、いいとこの坊ちゃんを想像するものですが、そういうステレオタイプの見られ方がイヤで反発した部分もあるんですか?

茂出木: 正直に言うと、それは、ないです。単純に黒く焼けている自分が好きで、せっせと焼いていたら「あいつ、ちょっと変わってるな」と、テレビ局から声がかかり、他のメディアにも出るようになり、現在に至る、ということなんです。

臆病な自分を、カモフラージュ?

島地: その風貌で、マスコミに取り上げられるのは店の宣伝になるかもしれませんが、快く思わない人もいるでしょう。

茂出木: もちろんです。昔から「三代目が家業をつぶす」といいますが、色黒でチャラそうに見えるぼくは、ダメな三代目の典型と思われても仕方ない。実際、高校の時から勉強はさっぱりで、通信簿なんて見せられたもんじゃない。その後の頃はサーフィンと遊びに明け暮れていて、しかもこの見た目ですから、いろいろ言われていたと思います。

島地: でも実際は、家業をつぶすどころか新しいことにもどんどん挑戦しているし、マスコミを通じて、「たいめいけん」の名前を広げることにも成功してるじゃないですか。黒かろうがチャラく見えようが、文句をいわれる筋合いはないでしょう。

茂出木: 昭和6年に祖父が創業してから、「たいめんけん」は常に時代や環境の変化に対応し続けてきました。材料や仕入れ先、味付けなどは少しずつ変えながらも、店内の雰囲気やサービスなど、変えずに守ってきた部分もたくさんんあります。変化を受け入れつつブランドを守るのは、祖父の代からの伝統かもしれません。

日野: 意外に控え目なんですね、茂出木さん。もっと島地さんに負けないくらい、グイグイと押しが強いタイプなのかと、勝手に想像してました。

茂出木: 正直に言いますが、ぼくには島地さんのような豪胆さは微塵もありませんし、自分では心底「臆病者」だと思っています。「俺で大丈夫なのか」「どうしよう」「もうダメだ」…って日々悶々としていて、頼りない部分もたくさん持ち合わせています。

島地: わかった! 黒く日焼けするのは、単純に好きだという他に、臆病な自分をカモフラージュするような目的もあるんじゃないですか?

茂出木: そうかもしれません。テレビに出ることも料理も、突き詰めれば「人によろこんでもらう」という目的の部分では共通です。おいしい料理でよろこんでもらうのはもちろん、異端の料理人として取り上げられ、よろこんでもらって、それが店の知名度をあげることにつながれば、自分は馬鹿にされてもそれでいいんです。