なぜ世界中で「リベラル改革」が困難を極めているのか

ロシア革命100周年、重大な教訓
塩川 伸明 プロフィール

スターリン後の変化とその限界

1953年のスターリン死去、56年のスターリン批判、その後の言論統制の相対的緩和などを経て、60年代のソ連・東欧諸国は、システムの骨格は変わらないまでも、その作動様式はかなり変わった。

もちろん、各種の抑圧は持続したが、その態様は暴力をむきだしにしたものから、より洗練されて目立ちにくいものへと変容した。このような限定的変化をどう捉えるべきだろうか。

一つの考え方は、スターリン批判とテロルの解除は一種の「トカゲのしっぽ切り」だという解釈である。これはこれで十分成り立つ議論だが、シッポを除去した上でさらにトカゲ本体の改革に進むべきだという考え方も一部にはあった。もっとも、この改革は容易に実現できるものではなく、種々の矛盾とディレンマにつきまとわれていた。

社会主義改革は経済と政治という二つの側面から考えられる。

経済改革は効率性向上を目標とし、何らかの形での市場メカニズム利用を主な柱とする。政治改革は自由の拡大、人権の保障などを目指すものである。この両者は往々にして一体のものと見なされ、双方を並行して進めるべきだと考えられることが多かった。

しかし、実際には政治改革と経済改革の間には秘かな緊張関係があり、経済の効率化は必ず政治的民主化を伴うという保障があるわけではない。というのも、市場導入を柱とする経済改革は、価格改革(物価上昇)、失業、格差拡大などといった副産物を伴うからである。

経済水準が上がればそうした「痛み」も緩和されるという希望的観測もあったが、一般に構造的改革が短中期的に成果を上げることはあまりなく、むしろ「副作用」としての痛みの方が先に現われるのが常である。

そこから、経済改革への大衆的反撥が生じる。改革に抵抗するのが「保守派官僚」だけではなく、大衆の間にも抵抗があるということこそが改革の重大なディレンマをなしていた。

そのことを考えるなら、政治的民主化という条件下で経済改革を進めることには大きな困難があった。

 

ペレストロイカとソ連の最後

ソ連末期のゴルバチョフ政権下で進行したいわゆる「ペレストロイカ」はわずか数年の出来事だったが、その中で時期を追った変化が非常に大きかった。

初期のペレストロイカは体制内改良として始まったが、やがて「改革」の内実が当初の想定を超えて拡大し、もともと全く予期されていなかったような新たな問題状況が生じてきた。

従って、ペレストロイカを一つのものと見るのではなく、時期や局面によって異なった性格をもつ、動的で複合的な現象としてみていく必要がある。