若者が爆発的に増えると、なぜ国や社会は「甚大な危機」に陥るのか

<道徳感情>で激動の世界を読み解く【3】
管賀 江留郎 プロフィール

歴史を揺り動かすユースバルジ

ユースバルジによる危機は、歴史上幾度も繰り返されてきました。

戦前の日本も若者の数が圧倒的に多く、しかも第一次大戦景気による大正バブル期に旧制高校や大学を大幅に増設して、大卒が一挙に増えたころにちょうど昭和の大不況とぶつかって、大変なことになってしまったのです。

深刻な就職難のなか共産主義が流行って、学園紛争も吹き荒れ連日教師を殴ったり吊し上げたりするようになりました。一方で右翼が台頭して、昭和維新運動なんかをはじめます。

また、青年将校たちが過激な政治運動やテロをはじめたのも、難関の士官学校を出て自分たちはエリートだと思っているのに、第一次大戦後は税金泥棒だと国民にバカにされ、軍縮でポストが減らされ、不平等感を強く抱いていたからでした。

同じころのドイツも若者人口が突出していて、大恐慌によるデフレ不況で失業率が上がるとともに、ナチスと共産党が議席を大幅に増やしました。一時期、経済が良くなったときにナチスは議席を減らしていて、ユースバルジと評判獲得を巡る<道徳感情>の表れとして判りやすい流れとなっています。

右翼か左翼かなどというのは、たまたま手近なところにあった体系的な理屈がどっちだったというだけの差です。知性のレベルによって、小難しい抽象的な理論に飛びつくか、外国人排斥のような判りやすい悪者叩きへと向かうか、<道徳感情>を満足させる方法の違いはあります。

しかし、それは因果推察の階層が多少深いか浅いかの違いに過ぎません。不平等感から<システムの人>となって、幾何学的な美しい計画を推し進めようとする根底の<道徳感情>爆発はまったく同じ。社会に混乱を巻き起こし、サイコパス化して大勢の人々を虐殺することになるのもそっくりな双子の兄弟なのです。

昭和初めの若者の場合、大恐慌と飢饉のために農村が壊滅的な状況となり、純真な彼らの<道徳感情>が刺激されたということもあるのですが、なによりも彼ら自身のユースバルジによる<道徳感情>爆発が大きかったのでした。これが結局は、闘う必然がない相手との無意味な戦争まで引き起こすことになるのです。

幕末も、西洋から種痘などの最新医療が入ってきたため乳幼児死亡率が下がって若者人口が急増します。一方で、開国して輸出が急激に伸びたために物価が高騰しました。輸出産業に携わる一部の者は潤いましたが、ほとんどは生活が苦しくなって政情不安となります。

とくに階級社会に不平を抱えていた若い下級武士たちが、学問を積むことにより<システムの人>となって、テロを繰り広げることになる。天皇親政の統一国家復活という、イスラム国のカリフ制大帝国復活とそっくりな目標が彼らを駆り立てたのです。

幾何学的な美しい計画のためテロを煽る吉田松陰の過激思想に若者たちが惹き付けられたのは、まさしくユースバルジによる<道徳感情>爆発の為せる業でした。

仮にその時点で天皇親政の統一国家やカリフ制大帝国が成立していたなら、打倒するため別の理屈に飛びついていたでしょう。<道徳感情>を逆撫でする現状への不満から社会革新を目指すのであって、それらの理論は道具に過ぎません。

従来のユースバルジ論は<道徳感情>を考慮していないため、たんなる人口論に留まっています。若者人口増加は引き金のひとつでしかありません。根源にある<道徳感情>に注目することにより、さらに広範な事象のなかに位置づけて普遍的に分析でき、解決法も探ることができるようになるのです。

人口問題は20年前に遡って対策を立てないといけませんが、<道徳感情>の解消ならいますぐにできることもあります。完全には解決できなくとも、ある程度の満足感さえ与えられれば社会全体を揺り動かすような動乱は抑えることができるのです。

かと云って、女性を拉致して無理やり結婚させるなんてことが赦されるはずもありませんから、真に正しい方法を考える必要があります。そのためにも、<道徳感情>とはなんであるのか、より一層深く考察しなければならないのです。

次回は、アダム・スミスの『道徳感情論』とはいったい何が書かれた本であるのか、どの解説書も触れていない真実の姿を解き明かすことになります。

(第四回「いちいち頭で冷静に考えて行動する人は、なぜすぐに淘汰されるのか」につづく)