「サイコパス」はなぜここまで人を惹きつけてしまうのか

<道徳感情>で激動の世界を読み解く【2】
管賀 江留郎 プロフィール

サイコパスと普通の人の線引き

これがサイコパスだけの問題なら、少数しかいない彼らを封じ込めればそれで済むんですが、そうはいかないのがまた厄介なところです。扁桃体に磁気刺激を与えたりしないでも、正常な人間がまったく同じ病状を示すことがあるからです。

第一回で<システムの人>の話をしました。平等が破られ格差が広がると<道徳感情>が強く刺激され、幾何学的で美しい計画に取り憑かれて社会を大混乱に陥らせる者たちのことです。

彼らが危険なのは、無理のある計画だけではなく、偉大なる理想のために個々の人々を平気で踏みにじるようになるからなのです。つまり、他者への共感を失ってしまい、サイコパスと同じになってしまうのです。

元々は、多くの人々を救うための理想的な計画だったはずなのに、その偉大なる計画を遂行するために多くの人々を虐殺するようにさえなってしまう。

そもそも、共感とはなんなのでしょうか。

 

アダム・スミスは『道徳感情論』で、人間は他者の痛みに共感することはあまりなく、恐怖にこそ共感するのだと、なかなか穿ったことを述べています。スミスの時代は麻酔がなかったですから、外科手術は強烈な光景でした。そんなものを見ると自分の身体が切られてるような感覚に襲われたりしますが、慣れるとなんとも思わなくなるというんです。

ところが、恐怖心には必ず共感してしまう。痛みはその瞬間に実在するものですが、恐怖とは次の瞬間起るかもしれないことへの想像に過ぎません。その不確かさのためにますます不安を感じて共感してしまうとスミスさんは仰るのです。

サイコパスは共感能力がなく、華麗なる計画に囚われてサイコパス化した<システムの人>も他者への共感を失ってしまうという現象を踏まえると、共感とは恐怖心と密接な関係があると思われます。

理想に燃えた<システムの人>は恐怖心を克服してしまうために、偉大なる計画に反する者を残虐に弾圧し、テロも平気で行うようになるのです。

戦場でときに考えられないような残虐行為が発生するのも、戦争によって恐怖を克服した兵士が他者への共感を失ってしまうためではないでしょうか。

未来のリスクを回避するため備わった想像の産物である恐怖心、未来の自分という他者を想像する力が、想像ゆえに本物の他者の恐怖心と混線するという錯誤から生れたものが共感かもしれないのです。

実際の痛みを感じるような事態が起きる一瞬前に、我々は恐怖心によって危険を回避することができます。さらに他者の恐怖心まで取り入れることができれば、もう一歩早く危険から逃れることができ、生存率が格段に上がるでしょう。

ある程度の恐怖は自ら求めてしまう人間の性質を考えれば、この他者の恐怖への共感は生存にとって決定的な意味を持つはずです。自然淘汰の原理から見れば、生死に直結しないその他の感情の共感は、恐怖の共感から派生した副産物に過ぎないと思えます。

恐怖心と共感がないサイコパスの特徴から考えても、そういう結論になるのです。

そうして、現代の科学でも共感と扁桃体にはなんらかの関連性があるとされています。脳科学も神経科学も進化生物学も、その片鱗さえなかった250年前に、ただ精緻な人間観察だけでここまで見抜いていたアダム・スミスという人物はただ者ではありません。

また、壇上の話し手の緊張感が聴衆にそのまま伝染することが、ストレスホルモンの分泌測定実験によって確かめられています。逆に、自信満々で堂々と話すと、聴衆は不快な不安感を感じずに気持ちよくリラックスして聴くことができるのです。

多くの人々が、話の内容にはあまり関係なく、恐怖心を持たないサイコパスを好ましく思って惹きつけられてしまうことにも、扁桃体の働きと共感が作用しているのでした。

緊張も不安も恐怖も、危険に備えるために存在する同一の身体的な反応です。それらの感覚に敏感で共感能力の高い、つまり<道徳感情>を強く備えた人ほど、恐怖心がないため罰を恐れず非道なことを平気でやるサイコパスを支持することになってしまうわけなのです。

なお、サイコパスと普通の人は明確な線引きがあるわけではなく、度合いが高いか低いかの程度の問題です。

傾向の高い人間がサイコパスと呼ばれますが、全員が完全に恐怖心がないわけでもなく、多少の危険は気にしないけど命に関わるほどだと避けようとする者もいます。

逆に普通の人でもサイコパス的要素は必ず持っていて、条件によっては強化されることになるのです。

その最大の要因が平等が崩れて<道徳感情>が強く発動されることで、サイコパスの大量発生を防ぐという意味からも、格差の拡大は絶対に避けねばならないのです。