「サイコパス」はなぜここまで人を惹きつけてしまうのか

<道徳感情>で激動の世界を読み解く【2】
管賀 江留郎 プロフィール

評判を欲する<道徳感情>の怪物

サイコパスとは映画や小説に出てくるようなサイコキラーのことではないという、精神医学的に正しい理解が最近は広まってきています。

いや、なかにはそんな快楽殺人者もいるのですが、殺人を犯す者はごく少数で、暴力的犯罪はサイコパスの必須条件ではありません。犯罪に手を染めないサイコパスは、政治家や経営者として成功する者も多いのです。

直接的な暴力は必ずしも振るわないものの、彼らは冷酷で利己的で、他人を利用するための道具としか見ていません。正常な人間なら誰しもが持っている、共感能力がないのです。

その一方で、世間からの評判を異様なまでに追い求めようとします。他人を情け容赦なく踏み付けにする無慈悲さだけではなく、貪欲に賞賛を得ようとするその性質がプラスに働くため、企業経営者や政治家として成功するのです。

一部のサイコパスが、なんの利益にもならない快楽殺人を犯すのも、犯行声明を出して世間からの注目を浴びたいという理由がほとんどだったりします。

人々への共感能力がないのに、なにゆえ人々からの評判を欲するのか。ここに、猟奇殺人を犯したり残虐な独裁者になることよりも遥かに恐ろしいサイコパスの真実が隠されています。

前回の<道徳感情>とはそもそも何かという話を思い出していただきたいのですが、人類は進化の過程で言葉による<評判>を媒介とした協力関係システムを身に着けたのでした。

評判によって、巡り巡って見返りが返ってくることにより、自分の生存率を上げることができる。この<間接互恵性>というシステムを維持するために生じたのが<道徳感情>です。

そのために、人を罰したいという欲求が高まったわけですが、一方で、自分に関しては評判を高めたいという名誉欲もまた生じました。<道徳感情>によって、この両者がもたらされているのです。

ですから、道徳も感情も欠落しているはずのサイコパスが、評判を追い求めるというのはおかしなことのはずなのです。

 

恐怖心だけが欠落している?

じつはサイコパスも、すべての感情が無いというわけではありません。恐怖心だけが欠落していて、それ以外の感情は正常であることが多いのです。

彼らは恐怖心が無いので、危険に対する感覚が極めて鈍く、命が危なくなるような場面でも平気で突き進んでいったりします。そのため、なにをやっても自分が逮捕されたり、死刑になったりするだろうなんて一切考えません。サイコパスには、罰が抑止力として通用しないのです。

だからこそ、他人にはどこまでも冷酷で、一方的に利益を搾取しようとします。普通の人は、相手からの報復を恐れたり、社会からつまはじきにされることを恐れてそんなことはできませんが、彼らはリスクを考えられないのです。そうなると、得ようとするのは利益だけでは済まなくなります。

人間社会を成り立たせている<間接互恵性>は、良きことをした者には評判という報酬を、悪しきことをした者には罰を与えるという両面でシステムを維持しています。その一方の罰が通用しないとなると、ブレーキが外された状態で、評判だけを異様に欲しがるようになってしまうわけなのです。

サイコパス的経営者が一生掛っても使い切れない桁違いの報酬を得たがるのも、評判を数値化して実感したいという欲求なんでしょう。

生身の人間である限り、ひとりで食べられる御馳走の量は決まっておりますし、一生のうちに着れる服や住める家も限られていて、贅沢のためなら一定の額以上の金銭は必要ないはずなんですから。

しかし、評判には限度がなく、彼らは際限なく追い求めることになるのです。

なにせ、罰を恐れませんから、評判を得るためには手段を選びません。そのために社会を大混乱に巻き込んだりもするのです。

恐怖心を生み出す扁桃体という脳の部位に異常があるため、サイコパスは恐怖を感じられなくなっています。正常な人も、磁気刺激によって扁桃体へ流れる電気信号を減らすと、数十分間だけサイコパスと同じ状態になることが知られています。

恐怖心が無くなるので、罰を恐れず、自信満々になるのです。この自信がサイコパスの大きな特徴で、また悲劇の元でもあります。