中川淳一郎×適菜収「天気予報にまで怒る人々へ」

博愛のすすめ、を教えよう
中川 淳一郎, 適菜 収 プロフィール

ニーチェの「愛」を学べ

適菜 ニーチェが唱えたのは人類愛なんですよ。要するに、人類の愛の原理やそれを支える道徳が、プラトニズム、キリスト教、およびそれを引き継いだ近代イデオロギーによりゆがめられてしまったので、それを取り戻すべきだと。

ニーチェが言っているのは、「人間を愛せ」ということです。『人間的、あまりに人間的』には「人は愛することを学び、親切であることを学ばなくてはならない。それも若いときからである」とあります。

中川 『ツァラトゥストラ』も愛の物語ですか?

適菜 そうです。愚民が蔓延っている俗世に絶望したツァラトゥストラは30歳のときに山に入ります。そこで10年間、自分の精神に向き合い、孤独を楽しんだ。

でも、ある日、太陽という無限に与えてくれるもの、一方的に照らしてくれるものに対し、語りかけるんです。自分は蜜を集めすぎてしまった。それをもう一度人間に贈与したいと。

中川 うん。

 

適菜 それでツァラトゥストラは山を降りるんですね。その途中で森に隠遁する聖者がツァラトゥストラを引き止めようとして声をかけてくる。お前は一度は絶望したのではないか。無駄なことはするなと。それに対し、ツァラトゥストラは「わたしは人間たちを愛する」と言うんです。

中川 かなり寛容な人物ですね。

適菜 結局、群衆は聞く耳を持たないのですが、それでもツァラトゥストラは仲間に語りかける。根底にあるのは人類愛です。

人間に対する愛です。世の中ではキリスト教は愛の宗教だと思われていますが、ニーチェはキリスト教が愛をゆがめたと指摘します。

「博愛」という言葉をニーチェは批判しますが、これはイエスの説いた愛ではなくて、教会により悪用された「愛」を指します。

中川 ツァラトゥストラのように、一度人間に対して絶望したほうが愛に転じられる気がしますね。オレは毎週金曜日の夜にラーメン屋に行くんですよ。毎週行っているから、店員もすごくこちらによくしてくれる。

ある時、カップルが荷物をカウンターの椅子に置いていた。それにより、一席しか空いていない。オレたちは二人で行ったので、荷物を籠に移してほしかった。それを察した店員が荷物を籠に入れたら、客の男が「なんだよ、財布が入ってんのに何するんだよ!」とキレたんです。

でも、カウンターの椅子に荷物を置くほうが変でしょう。そのカップルはずっと、「こんな店二度と来ねえ」と怒っている。それで店員も困っていた。

カップルは、大事な夜のデートを邪魔されたと思っているのかもしれないし、オレは「この野郎、バカたれ」と思ったし、店員は「バカな客がいて申し訳ない」と思っただろうし、みんな不幸になってしまった。博愛主義が成り立つ条件は難しいところがありますね。