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【落語のナゾ】なぜ同じ話を何度聞いても面白いのか?

三遊亭円歌が体現した「芸の真髄」
堀井 憲一郎 プロフィール

落語という芸

三遊亭円歌は、いくつかの音源を残しているようだ。

でも、あまり意味はないだろう。どういう芸人であったかを伝える価値はあるが、この人の隔絶したパワーと技術が伝わるものではない。

絶対にどこでも受けていたということは、この人の喋りは、必ずその現場にいる人たちにだけ向けて語られていたということだ。

その現場にいなければ、あまり意味がない。

円生や志ん朝のように語り継がれた古い噺を次代に継ぐための音源とは意味がちがう。

円歌が死ぬと、円歌の落語は地上には残らない。

人の記憶に残るだけであるし、その記憶を持った人もやがて地上からは消えていく。

落語はそういう芸である。円歌の噺はもう聞くことはできない。

ただ、新しい落語が今日も話されている。

寄席は今日も開いている。

いまもまた、いまの客にむかっていまの噺が展開している。

いま聞くものは、そこにある。