タモリと名古屋にまつわる「因縁」と「呪縛」

今夜『ブラタモリ』で歴史的和解が…?
近藤正高

名古屋名物=エビフライはタモリが起源

タモリが名古屋をネタにしなくなってからも、その影響は残った。象徴的なのはエビフライだろう。やはり『タモリと戦後ニッポン』で詳しく書いたとおり、これはタモリが「エビフリャー」とネタにしたことをきっかけに、いつのまにか名古屋名物になっていたというのが真相らしい。

かつて名古屋はどこか無個性な街としてとらえられがちだった。歌謡曲でとりあげられることもあまりなく、そのなかにあって珍しく名古屋を歌った石原裕次郎の『白い街』(1967年)も、タイトルからしてよっぽど印象が薄かったのかと思わせる。そこへ来てタモリがネガティブとはいえ、名古屋をネタにとりあげた。名古屋人にしてみれば、そのおかげで地域アイデンティティを再確認することになった部分は多分にあるのではないか。

 

たとえば、『中日新聞』の夕刊コラム「夕すずめ」では、平成に入ってからも、名古屋のイメージダウンにつながりそうなことがあるたび、「またタモリに笑われる」と決まり文句のように書かれた。ざっと例をあげるなら、こんな感じだ。

(地元大学の教授がべつの地方に転出するケースがあいつぎ)《新空港やリニア新幹線ができても、これではまたタモリに笑われるかもしれない》(1990年12月14日付)

(名古屋の国際的な知名度は国内10大都市中8位という調査結果を受けて)《あまり世間体を気にしすぎると「だからいつまでも田舎」とタモリに笑われる》(1992年6月26日付)

(名古屋市の人口が減少傾向にあったとき)《何とかして若い人たちを引き止めないことにはまたタモリに笑われる》(1993年5月26日付)

(名古屋市の人口が2年連続で減少して)《ここへきて活力がなくなってはまたタモリに笑われる》(1995年5月24日付)

ここまで来ると、「悪いことをするとお天道様の罰があたる」といった物言いとほとんど変わらない。もちろん、当のタモリはこのころにはすでに名古屋をネタにすることはほとんどなくなっていた。それにもかかわらず、タモリの呪縛ともいうべきものに、名古屋はその後も長らく囚われてきたのである。

名古屋弁についても、タモリが「ミャーミャー」言っているのは本当の名古屋弁ではないといった反発から、地域の言葉を見直そうという動きが出てきた。「名古屋弁を全国に広める会」が1989年に世界デザイン博覧会で開いた集会では、同会の名誉会長で元名古屋市長の杉戸清が《タモリが“名古屋弁はミャーミャー、ギャーギャーとネコみたい”と言っとるが、名古屋弁は歴史を持っとる。住んどらんもんが、えーとか、わりぃとか、タワケタこと言うな》と述べている(『中日新聞』1989年9月10日付)