ところが、ここまで読んでこられた読者には、ある問題の所在に気づかれるのではないだろうか。
それは、陸に上がることによって表情筋を獲得したとするなら、ネズミやウサギ、イヌ、ネコやサルといった動物達はどうして人間ほどには喜怒哀楽の表情を示すことがないのだろうか、という問題である。
動物園に行って色々な動物を観察していると、ネズミや馬など、鼻をピクピクと動かす動物は沢山いるし、立てた耳を敵の方に向けて警戒する動物も珍しくはない。
怒りに燃えたサルが歯をむき出しにして、はた目にも怒りの情を読み取ることができる。
ペットのイヌやネコでも、ヒトほどではないものの、甘えたり、時には媚びを売る顔つきを見せることはよくあるものだ。
とはいえ、ヒトほど明確に喜怒哀楽を表情に表す生き物は他にないことは事実である。
それではわれわれヒトに限って、顔にかくも明瞭に喜怒哀楽の情が表出されるのはどうしてなのだろうか。
感情を表情として外から見える形に表出させるためには、まず大脳の中に喜怒哀楽の感情がきちんと確立することが前提になる。
その感情にもとづいて、沢山の運動神経を操って小さな筋肉をグループとして収縮させる巧妙な神経回路を発展させたのが人間の脳である。
それに引きかえ、下等な哺乳類では感情がまだ充分には出来上がっておらず、動物進化の過程で次第に発達させる途上にあるということになる。
そのため、感情の発達の程度に応じて、表情も下等なレベルから高等なものへと発展の途上にあるということが分かる。
受け止めた沢山の情報を統合して、それに意味づけを行いながら一つの反応を産みだす。
これはヒトが行う芸術や文化といった創造活動の発端であり、その生物学的機構の解明は脳科学の最大のテーマである。
しかし、まだその研究は緒についたばかりで、その全貌が明らかになるにはこの先かなりの時間が必要であろう。
こうして見てくると、表情筋を持っていることと、顔に表情が出現することとは一線を画した出来事で、それを結ぶのが脳の働きだということになる。
こんなことを考えながら魚を見ていると、何時間もがあっという間に過ぎてしまう。