「共謀罪」は、日々の生活に萎縮を強いる法律である

GPS捜査違法判決導いた弁護士が指摘
亀石 倫子 プロフィール

自然と萎縮する

さて、そこで「共謀罪」である。

共謀罪が成立すれば、犯罪行為が行われる前の計画段階を知るために、対象者を監視することが不可欠になる。そして政府は、今年4月21日の衆院法務委員会で、犯罪を計画している疑いがあれば、「計画段階でも任意捜査を行うことが許される」と述べている。

これが何を意味するのかを、考えてみてほしい。個人の「私的領域」に立ち入るような監視捜査を、これからも裁判所の令状をとることなく行う、と言っているのだが、捜査の対象を選ぶのも、運用の方法や期間を決めるのも、警察の判断に委ねられる、ということだ。

 

10年以上も前から行われていたGPS捜査は、徹底的に国民に秘密にされてきた。誰が対象となり、何のために、いつからいつまで行動を監視されていたのか、今となっては知りようがない。こうした監視捜査が、これからも行われることを意味しているのだ。

最高裁判決は、GPSを利用することに限って「令状のない捜査は違法である」と判断したのではない。

人のプライバシーを侵害するおそれのあるものを「私的領域」に侵入させる捜査は、警察の判断だけで行ってはならないということを示しているのである。つまり、共謀罪をめぐる政府の答弁は、最高裁の判断から明らかに逆行しているのだ。

科学技術の進展に伴い、今後、GPSのような新しい技術を利用した監視手法が次々に登場して捜査に利用されることになるだろう。それが犯罪捜査に有用であることは否定しない。しかし、私たちのプライバシーを侵害しうるものである以上、野放しに行われるべきでない。

もし、そうした捜査の存在自体が秘密にされたまま、国家による国民の監視が進めば、人は「いつ、誰に見られても大丈夫なように行動しなければならない」と思うようになり、誰からも非難されないような考えを持ち、発言するようになるだろう。つまりは、自然に萎縮して日々を生きるようになる、ということだ。

本当に怖いのはこういう状況

「監視」が人々に与える萎縮的効果は、功利主義の代表的な思想家、ジェレミー・ベンサムが1791年に設計した「パノプティコン」と呼ばれる刑務所の建築デザインにちなんで「パノプティコン効果」として知られている。

この刑務所のデザインは、収監者の独房を中央の看守塔の周りに配置したものであり、看守はこの塔からそれぞれの囚人を見ることができるが、囚人は自分の独房からこの看守を見ることはできない。

パノプティコン「パノプティコン」と呼ばれる刑務所の建築デザイン Photo by GettyImages

囚人から看守が見えないと、そこに看守がいてもいなくても、囚人は視線を意識して緊張するようになる。囚人が取るべき唯一の行動は、刑務所の規則に従うことである。

なぜなら、どんな瞬間であっても囚人は見られている可能性があるからである。つまり、監視の可能性を知覚しただけで、実際の監視と同じ抑制効果があるのである。

現代では、「パノプティコン」という言葉は、常時監視によって個人の尊厳を傷つけ、人間性を否定する忌むべきシステムという意味を込めて使われる場合が多い。私的な空間における監視だけでなく、監視はすべての状況において個人の人格やプライバシーに対する侵害となりうるのである。

国家による監視が進めば、国民が多様な価値観を持てなくなり、国家が望ましいと考えるひとつの価値観で支配されてしまうかもしれない。私は、日本がそのような国になってほしくない。

共謀罪法案が参議院を通過するのなら、せめて捜査機関は、計画段階においてどのような捜査が行われる可能性があるのかを明らかにするべきだ。

今回のGPS判決の趣旨からすれば、人びとの内心に立ち入り、人格やプライバシーを侵害する可能性のある捜査を、今後、警察の判断だけで秘密裡に行うことは許されない。

そうした捜査を行うのなら、裁判所が発する令状を取るなり、国会で立法をするなり、きちんとしたルールのもとで行わなければならないのである。

それすらも議論されていないことに強い危機感を抱きながら、日本がいつまでも、多様な価値観と個性が認められる、自由な社会であってほしいと願っている。