50年間、朝ドラを見てきた私が断言したい「『ひよっこ』はスゴい」

夢を追うだけが人生じゃない
堀井 憲一郎 プロフィール

主人公みね子は、このままの茨城で生活するつもりだったのだ。高校を卒業すると、地元にのこり、家の農業を手伝うつもりでいた。

しかし、父と連絡が取れなくなったことがきっかけで、ひとり東京へ出て働くことにする。そうやってお話が始まる。

彼女は自分といまを受け入れている。底から強い。あまり現実にはそんな子はいないとおもうけど、でも、いてもおかしくない。

このドラマは、生き生きとしたリアルな善きエピソードをたくさん集めて、それを重ねて作り上げている。そういうファンタジーである。

1960年ニッポンのファンタジードラマ。そこが、私はとても好きなんだとおもう。

誰かが話しているとき、残りの人たちは黙って聞いている。その表情がいい。みんなの表情がささってくる。それを見逃さないため15分間、画面から目を放せない。

ときに脇のほうの人が、とてもよかったりする。

たとえば、集団就職の見送りのとき、いつも存在感がないと言われる〝主人公の親友の時子のお父ちゃん〟が、場違いな「時子がんばれ」ののぼりを一人で持ち、端っこで掲げている姿が見切れそうにぎりぎりに映っていたが、その、場違いで間が抜けた感じに、田舎の人の純心が籠もってるに見えて、とても胸に迫ってきた。(かなり個人の感想です。この文章を読んで見返して見つけても、たぶん、そんなに迫らないとおもう)。

また、去っていく人の後ろ姿をよく映している。小さくなっていく姿を見る。ただそれだけである。それがじんわりと効いてくる。

哀しいドラマではない。せつなくなることはしばしばあるが、基本は陽気である。1960年代の空気を反映したコメディタッチが底に流れている。有村架純の陽の部分がきちんと反映されている。

 

きちんとした生活人

物語は、父に語りかける形で進んでいく。

主人公のみね子は、いつも心の中で父に話しかけているのだ。最初は東京の父に、途中からどこにいるかわからない父に、いつも話しかけている。

倉本聰の『前略おふくろ様』や『北の国から』のように(古い例で申し訳ないが)主人公のモノローグで物語が進んでいく。(増田明美さんのやさしいナレーションは別にあります)

満ち足りていた家族から、父が欠けたお話になっていく。

そこを出発点に、しかし父と再会することを強い目標にしているわけではなく、物語は進む。父とは会えないが、日々の生活をきちんと送っていく。

主人公みね子は、高校のときから働ぐの好きだと言って、いつも身体を動かしていた。彼女を囲む人たちもみんなそうである。こういう人たちがいれば日本は大丈夫だとおもわせる、きちんとした生活人である。

そういう人たちの姿を丁寧に描いていて、それだけなのだけれど、だから世界がとても力強く見える。

集団就職した東京では寮住まいである。

寮の舎監さんを和久井映見が演じていて、ちょっとふわふわしている。少し頼りないけど、やはりかぎりなくやさしい。

少し年を取っているけど独身で(当時はオールドミスと言ってましたが、やさしいこのドラマにはその言葉は出てきません)、結婚を約束した人は戦争で亡くなったらしい。一度その話をしたが、深くは語らない。若い人はいいわね、と繰り返している。

失った過去を抱えているが、いつも明るい。みんなを元気にさせる。そして、やさしい。彼女もとてもきちんと生きている。

ふと、彼女はいま現在はどうしてるんだろう、と考えてしまったけれど、ドラマの登場人物の50年後を想像しても意味がない。でもついそう考えさせてしまうドラマだ。