もうひとりの“日本サッカーの父”は、「伝え方」の達人だった

故・岡野俊一郎さんが伝えたもの
二宮 寿朗

クラマーとの交友

岡野さんの説明というものは実にわかりやすい。なるほどクラマーさんの隣に彼がいたからこそ、正しく、深く、分かりやすく伝わっていたのだと思えた。

「ダイヤモンドサッカー」の名解説者は、海外サッカーの魅力を伝え、これまでサッカーに興味がなかった人まで引きこんだ。選手には選手に伝わるように、ファンにはファンに伝わるように、そしてメディアにはメディアに伝わるように。岡野さんは相手に理解させる、伝え方の達人でもあった。

クラマーさんとの交友は、一生続いた。お互いを「ブルーダー」(ドイツ語で兄弟の意)と呼び合っていたという。

「デットマールと会うのは、いつも楽しみでした。でも2011年のJFA創立90周年記念パーティーに来てくれたとき、彼は式典のときに立っていられなくて、僕がずっと体を支えていました。体調があまり良くないんだなって感じたんです。

彼からは2ヵ月に1回ぐらいのペースで電話がかかってきたんですけど、最後のほうは1ヵ月に1回。第二の故郷である日本に、もう一度来たがっていました。僕だって会いに行きたかった。でも僕も肺ガンが見つかってから、行けなくて……」

そして、ひと呼吸置いてから、岡野さんは言葉を続けた。

「人間なんて、会うまでどうなるかなんて分からない。会ったって、そういう深い付き合いになるかどうかも分からない。でもね、僕は彼が来たおかげで人生が変わっちゃった。それは一つも悔いがない。55年の素晴らしい友情だったと僕は思っている。デットマールには感謝したいです」

クラマーさんは“日本サッカーの父”と呼ばれた。その教えを波及させ、体系化した岡野さんもまた“日本サッカーの父”だと私は思う