努力しても報われない人生はザラにある~馳星周「暗黒小説」のカタルシス

理想と現実の断絶に絶望するな
霜月 蒼

絶叫マシンのようなカタルシス

こういう物語を書かせれば馳星周の右に出るものはいない。

悪と善とに引き裂かれる心があげる悲鳴、自分の犯した悪事がもたらす恐怖からにじみ出す厭な汗、それでも決定的な破滅への道に一歩踏み出してしまう絶望。

このヒリヒリする感覚を私たちに共有させてしまう文章のマジックこそ、馳星周体験の最大の魅力である。

私たちが日常で体験できるヒリヒリ感など、せいぜい1万円かそこら失うかもしれない小博打くらい。しくじれば死亡必至の大博打に打って出るしかない極限状況の擬似体験――馳星周作品は心理的な絶叫マシンのようなものなのだ。そして絶叫マシンがそうであるように、あとには独特のカタルシスが訪れる。それを馳星周は描きつづけてきた。

写真/ホンゴユウジ

1996年、馳星周は名作『不夜城』でデビューした。刊行されたのは日本に中国マフィアが入ってきて、既存の犯罪組織とは異なるルールで歌舞伎町で青竜刀を振り回すなどして衝撃を与えた時期のこと。

そんな時代、馳星周は切迫感あふれる一人称で、歌舞伎町の中国マフィアの抗争にまきこまれた劉健一の絶望的なサバイバルを描いたのである。

劉健一は日本ミステリー史上最強のダークヒーローとなり、『鎮魂歌』『長恨歌』という2つの続編で、恐るべき犯罪者として登場することになった。

そこから馳星周は壮絶な犯罪小説を連発する。日系ブラジル人の男を主人公とするヴァイオレントな『漂流街』、そして『暗手』の前日譚で、加倉が台湾で破滅してゆく姿を熱病じみた筆で描いた『夜光虫』もこの時期の傑作のひとつだ。

ごく平凡な人々にひそむ暗いものを細密に描いた短編集『M』を除いて、この頃の馳星周は日本の外から流れ込んでくる暴力的なものを作品の軸にしていた。

平和で微温的な日本では切実な生存のドラマが生まれにくいという判断かとも思うが、その総決算というべき大作警察小説『ダーク・ムーン』(舞台はカナダのヴァンクーヴァー)以降、日本へと視線を移す。「無国籍ノワール」とでもいうべきジャンルを、ほとんど独力で築き上げたというのに、それをあっさり捨ててしまったのだ。

 

まず見つめたのはバブルの狂騒である。

暴力犯罪の要素を捨てた馳星周式の青春小説『生誕祭』。地上げや詐欺といったダーティーな手段を駆使してのしあがろうとする若者をドライな文章で活写し、破滅を描きつつも、どこか崇高な青春の輝きのようなものを一筋残して物語は閉じる。

欲望の醜悪さを見つめつつも、馳星周は欲望というものの熱にポジティヴな視線を寄せているのだ。それは11年後の2014年に発表した続編『復活祭』で、IT長者たちの「薄さ」を嘲笑う筆からも見てとれる。