芦田愛菜さんが「一番魂が震えた」と絶賛したこの一冊

紹介した後、即品切れに
山中 伸弥, 緑慎也 プロフィール

父の死

ぼくは学生時代にラグビーをやっていたので、ある意味では脊髄損傷と隣合わせでした。実際、ぼくの知り合いもラグビーの試合中の事故で脊髄を損傷したのです。

彼は奇跡的に回復しましたが、体格の大きなラガーマンが試合中の事故で脊髄損傷のため一生寝たきりの体になったという話を何度か耳にしました。

彼らに対して有効な治療法がまったくないというのがもどかしく、辛かったですね。

研修医になるまで、自分の周囲には、病気で苦しみながら亡くなっていく人がいませんでした。苦しむ患者さんに接する経験がなかっただけに、整形外科で重症の患者さんたちに出会ったときの衝撃が大きかったんです。

ぼくは難病で苦しむ患者さんを、なんとか治す方法を探したいと考えはじめました。2年間の研修生活が終わるころには、基礎医学への興味が芽生えていました。

父が58歳で亡くなったのは、そのころです。

僕が高校生の時に、仕事中の事故が原因で輸血を受けました。それで肝炎にかかって、やがては肝硬変になってしまいました。

持病の糖尿病も悪化し、毎日インスリン注射が必要になりました。最後の2年くらいは、僕も父に点滴や注射をよくしました。

そのときの父のニコニコしていた顔が忘れられないですね。

苦しい中でも、実の息子に医学的処置を受けることが何とも嬉しそうでした。父の死も、自分の人生をもう一度考えるきっかけとなりました。

ぼくの父は、息子が臨床医になったことをとても喜んで死んでいきました。

ぼくは医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。

臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最期は人の役に立って死にたいと思っています。

父にもう一度会う前に、是非、iPS細胞の医学応用を実現させたいのです。

山中先生が初めて語った、「iPS細胞ができるまで」と「iPS細胞にできること」