楽天・オコエ瑠偉に立ちはだかる「壁」〜一流と超一流は何が違うのか

野球選手の人生は13歳で決まる(6)
赤坂 英一

病気と震災

そうした中で、野球を続けるべきか、オコエが最も真剣に考えた時期がある。「大腿骨頭すべり症」という病気を患った中学2年のころだ。

成長期特有の病気で、股関節の付け根がずれ、まともに歩くことすらままならない。股関節を固定するボルトを2本入れる手術で1ヵ月入院し、4ヵ月のちにボルトを抜く手術でまた2週間入院する。

「退院してからも半年間走れなかった。もう野球をやるのは厳しいかも、と思いました。この身体じゃしんどいなって」

そんなオコエの胸中を察し、渡辺はよく「グラウンドへ出てこい」と声をかけた。ひとりで部屋に引きこもっていても、気分が落ち込むだけだ。松葉杖を突いてでも練習場に来れば、仲間と触れ合える。みんなと冗談を言い合って笑うだけでも気分が変わるから、と。

そして、オコエがまだ満足に身体を動かせなかった'11年3月11日、あの東日本大震災が起こったのだ。オコエが言う。

「震災があってから1ヵ月ほど、チームも活動を自粛してたんです。その代わり、募金の呼びかけとか、奉仕活動をやってました。その間ずっとボールに触らないでいると、やっぱり野球がやりたくて身体がウズウズしてきたんですよ」

 

病気と震災が、野球に取り組む姿勢を変えたのかもしれない。オコエはこの時期を、「自分の中で野球が遊びから本気になったとき」だと言う。

高校でも野球を続けるのなら、もっと真面目にやらなければならない。野球を諦めざるを得なくなれば、そこから勉強に切り換えて大学を目指すことにしよう。そういう目標を立て、両親と相談し、強豪の関東第一高校への進学を選択する。

そんなオコエが入ってきたころのことを、関東第一の監督、米澤貴光はほとんど覚えていない。

「最初は全然、目立つ子じゃなかったです。学年ごとに部員を集めても、集団の前に出てこない。引っ込み思案で、いつも後ろに隠れていました」

オコエにとって、関東第一は東村山シニアとはまったく別世界だった。自分と同い年、自分より小さな身体で、自分より野球のうまい選手が大勢いる。このままでは1年でおしまいだと思った。

「1年秋の都大会で優勝したメンバーの半分が、同級生だったんですよ。ぼくはレギュラーになれなくて、同じ代のみんなに上に立たれているような気がしました。ここでもっと頑張らないといけないと、またスイッチを入れ直した時期です」