効果のない対貧困政策を顧みない残念な世界に終止符は打てるか

データが解き明かす人間行動の法則性
峯 陽一 プロフィール

自由主義の原理に基づけば、人々は自立して選択の自由を行使すべきである。したがって、父親が子供を善導するように、特定の「正しい」選択肢を選ぶように政府が市民を誘導するのは間違っていることになる。

「私はあなたにとって最善のことを知っています」というヒラリー・クリントン的な「上から目線」に米国の有権者たちがノーをつきつけたのは、記憶に新しい。

自分のことを振り返っても、筆者は2年前に禁煙したが、自分で決めたのであって、誰かにナッジされたわけではない(と思う)。

 

経済学者は「水道屋」のようなもの

RCTにはいろいろと問題はあるが、事実に基づいて人間行動の傾向性を確かめることが大切であり、経済学と心理学のコラボレーションが大切だというのは、間違いないだろう。

現実には、無駄な政策がもっともらしい理屈で実行されて、役に立ったかどうかの確認もされないことが多すぎるからである。

デュフロ氏は最近の論文で、経済学者は水漏れを直す「水道屋」のようなものだ、と論じている。大切なのは、経験と、微調整。地味だけれども役に立つ職業だ。

しかし、心に留めておきたいのは、どれだけ確実さを求めても、人間の心理と社会には100パーセントの確実さは存在しえないということだ。

今のRCTの面白さは、データで常識を覆すところにある。これからRCTが普及していっても、デュフロ氏たちのチームには、こういう反主流の無骨さを維持してほしいものだと思う。

それにしても、経済学という学問は文系なのか理系なのか、よくわからないところがある。RCTの研究成果の論文は、ラボでの実験の結果を議論する理系の論文と同じように共著論文が多い。偉大な経済学者が大学の研究室で思索を深めて、晩年に著作集が刊行される、というパターンは消えつつあるようだ。

RCTには、マイケル・クレマー、アビジット・バナジーという先輩研究者がいて、デュフロ氏は次の世代である。研究はチームワークで大規模に実施されるから、こういう人々は研究者というより、研究経営者に近い。やはりこういうのは、アメリカ人が得意だ。

フランス人の学者とデュフロ氏の話をすると、「彼女はアメリカに行っちゃった人だから」という反応が返ってくることがある。日本人の経済学者でも、森嶋通夫、宇沢弘文、青木昌彦のように英米に渡って大成した人たちがいるが、こういう研究者が日本語で日本人向けに出した本を読んでみると、複雑な「憂国の思い」が伝わってくるものだ。

RCTの成果を自分の母語で紹介するにあたって、デュフロ氏は祖国フランスの知的伝統をどのように意識しただろうか。このあたりを考えながら本書を読んでみるのも、面白いかもしれない。

デュフロ氏はまだ若いが、ノーベル経済学賞に近い、という噂をあちこちで耳にする。殿堂に入る前に、もうひと暴れしてほしいものだ。応援しよう。