プライス教授 まさに、それです。私の予想ですが――といっても専門家ではないので、あくまでも私見ですが――こういった技術はいつかできてしまうだろうと思います。
あえて自分をAIとつながない人はいるかもしれませんし、つなぎたいと思っても、アクセスできない人もいるかもしれませんが、中には、自分自身の知能の向上を試してみたいという人は必ず現れると思います。
2、3ヵ月前に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの哲学科で「AIの未来」をテーマにパネルとして講演しました。そこでは、人類の絶滅をテーマに5分間話すように頼まれ、「絶滅といってもいろんな意味があるじゃないか。未来にはいろんな可能性があるんだ」という話をしました。
ひとつの未来の可能性としては、人類はこのまま何十万年も特に大きな変化もなく生き続けるかもしれません。また別の可能性としては、地球規模の大災害が起きて、あっという間に人類は滅んでしまうということもありえます。この両極端のシナリオの間に、非常に多くの人類の未来の可能性があります。
そのひとつの可能性としては、生物学的な意味での人類はすでに滅びているが、現代の人類の子孫が、テクノロジーの向上により、今とは違った形で生き残っているというものです。
この未来では、新しい人類は存続し続けていますが、ある意味においては、自然状態としての生物的な人類は滅びたといえる状況でしょう。しかし、この新しい人類は、広い意味では我々の子孫と言えるでしょう。
また別の可能性としては、生物的な意味での人間は絶滅してしまっても、知能機械が人類の持っていた価値観を引き継いで未来永劫生き残るということもありえます。なので、人類滅亡といっても、いろいろな意味があり、様々な可能性が考えられるのです。
金井 なるほど。それならば、我々が脳をインターネットにアップロードしてデジタルな存在になってしまえば、それでもやはり人類はいなくなってしまいますね。
プライス教授 まさにその通りです。いろいろな未来があると思います。前にも言ったように、私は楽観的ですが、「注意深い楽観主義者」でありたいと思うのです。そして、人類がどこに向かっているのかを常に考えておきたいのです。