マツコ・デラックスを現代の「最強神」と呼ぶべき、深淵なる理由

祭礼と女装の歴史にみる「双性原理」
三橋 順子 プロフィール

双性原理の記憶

双性(Double‐Gender)とは「男でもあり、女でもある」ことだ。男性の体でありながら女性のジェンダーを身にまとう女装、逆に女性の体でありながら男性ジェンダーを身にまとう男装、さらには男性と女性の身体的形質を併せ持つインターセックス、あるいは前世は女性で現世では男性(その逆も)など、ともかく性が重なった状態をいう。

そうした双性的特性を持つことが、通常の人間とは異なる能力(異能)をもつ源泉と理解され、通常の人間ではないこと(異人)から神により近い存在として「神性」を帯び、聖視されるという考え方があったのではないだろうか。

逆に言えば、人は女装・男装して双性的な存在になることによって、通常の人とは異なる存在(異人)になり、通常の人が持たない力(異能)や聖性を身に帯びることができると考えられた。こうした考え方を「双性原理」と呼ぶ。

ちなみに「男でもなく、女でもなく(無性)」では、なんの「異能」も生じない。

現代の私たちは、女装=女に近づくこと、男装=男に近づくことととらえるが、そうではなく、双性になる手段なのだ。だから、女装した男性も、男装した女性も、双性的存在という意味で等価で、どちらも神性を帯び、神に近づくことができるという点で変わりはない。

双性原理の概念図

だから、前近代の社会では、トランスジェンダーやインターセックスのような双性的な人たちは、双性原理に基づいて、社会の中で「聖」なる存在として畏敬/畏怖され、特有の社会的役割を担っていた。そうした人たちが、神と人とを仲介するシャーマンである例は前近代の日本を含め世界各地で見られたし、今でもインドやミャンマーなど南アジアに残っている。

ただし、「畏れ」は容易に社会的な排除に転化し、さらに社会的に差別される「賤」なる存在になりかねない。「聖」と「賤」は表裏一体なのだ。

最初に紹介した日本各地に残る祭礼の女装は、双性原理の記憶を伝えているのではないだろうか。