近頃「白馬のお姫様」を待つ男子が急増している件〜恋しない若者たち

どうやって彼らと打ち解ければ良いのか
伊藤 氏貴 プロフィール

恋しない若者の取扱説明書

正直、そのこと自体はどうでもいい。恋愛や結婚だけが幸せのかたちなどと言うつもりは毛頭ない。ただ、人間関係自体がこのまま疎遠になってゆくのはちょっとだけ困る。この世のすべての仕事が在宅勤務で、生活必需品がすべてドローンで宅配されるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。それまでは嫌でも他人と面と向かわなければならないし、その相手はどんどん若く理解しづらくなってゆく。

だが、繰り返せば、彼らは理解されなくともよいと思っているわけでは決してない。ほんとうは近づいて自分を認めてくれる人を待っている。「草食」動物というよりは、食われるのを待っている「草」という方が近い。

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ただし、自分が認められるには他人をも認めねばならないことを知る必要がある。「個性」が「他人と違うところ」を意味する限り、「個性」は他者との関係の中でしか発生しえない。だから、認めることは実のところ認められることと表裏一体なのだ。自分が相手と違うところは相手が自分と違うところだということ。

だから、恋するためのこの手順でそっと近づけばいい。恋の手ほどきをするのだ。

突飛な物言いに聞こえるかもしれない。だが、誰しも一度は教科書で読んだことのあるはずの『こころ』の中で、漱石は次のように言っていた。海岸で出会って以来、なぜか自分にまとわりついてくる青年に対して「先生」の吐く科白である。

「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

恋は非常に高度な人間関係の駆け引きの上に成り立つ。そのためには修練も必要だ。その手前で、年長者と若者との関係という「階段」が求められることもある。年寄りは自らを踏切板とする覚悟が要る。

 

いや、今はそこまでの助走すら躊躇われる時代なのだ。踏切板が自らスタートラインまで近寄ってやるほかない。

まず、そっと近づいて「あなただけ」と言うこと――集団全体でなく、一個人として接し、その人にしかないポイントを見つけてそれをはっきり伝えること。月並みな褒めことばはいらない。むしろ、その人にしかないと言えることであるかどうかの方が重要だ。

もしかしたらそれは当人が認めてほしいと思っていたところではないかもしれない。傍から見てもピント外れなことかもしれない。それでもいい。伝える私にも個性がある。私の個性が見つけた君の個性はここだ、と伝える。その方が気持ちが籠るし、恋とはそういうものだ。個性による個性の発見。