全12球団が欲しがった「天才球児」のつまずきと葛藤〜早熟の宿命か

野球選手の人生は13歳で決まる(5)
赤坂 英一 プロフィール

心身を鍛え上げられた古澤は、中学への進学が決まると、自ら父にボーイズリーグに入りたいと訴えた。古澤が言う。

「中学の野球部は軟式でしたからね。高校に行ったら甲子園に出たかったんで、そのためには中学から硬式のボールを触らないといけんかな、と。そのころにはもう、将来はプロに行きたいという考えもありましたから」

ここまでは順調だった

そして、湖北ボーイズへ入った中学1年、13歳の春、古澤はいよいよ陽の当たる舞台へ飛翔していく。この年から、智規もまた、右腕と頼む会社の部下にこう宣言した。

「おれ、勝吾が中学生の3年間、仕事は二の次にするわ。仕事はおまえに任したる。おれはすべて勝吾優先。二兎追う者は一兎も得ず、やからな」

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智規はまず、バッティングセンターを変えた。長浜市には軟式しかないので、硬式のある彦根市まで足を伸ばしたのだ。車で往復1時間半かかっても苦にならない。車を運転中、智規はイメトレのつもりで、古澤に仮想インタビューを行った。

「古澤選手、素晴らしいホームランでしたね」

父の質問に、照れ笑いしながら古澤が答える。

「あの場面は、真っ直ぐ一本に絞ってました」

次に、智規は自宅の庭に土を盛り、マウンドをつくった。ネットピッチングとティー打撃のためのネット、クライミングロープや照明設備も備え付け、毎晩9時ごろまで練習を続ける。そこまでやってもまだ練習が足りない、と智規は考えた。

「いくらティーだけやっても、生きた球を打たんと意味がない。それで、週3日ぐらい町営のグラウンドを借りて、フリー打撃を始めたんです」

自宅でティーをやったあと、家族みんなでそのグラウンドへ行く。智規が打撃投手を務め、波留美と古澤より2歳年下の妹が球拾いをした。家族総出の猛特訓である。

 

ときには、古澤が反発した時期もあった。智規が試合を見に行くと、父の目が気になってプレーに集中できなくなる。

「パパが来ると打てん」

面と向かって、智規にそう言ったこともある。それでも、智規は足繁く試合を見に通い続けた。

「勝吾にとってはプレッシャーやったかもわかりません。でも、ぼくは親やから、誰よりも勝吾を愛してます。そんな親のプレッシャーぐらい乗り越えられんようでは強くなれんと思ったんです」

古澤は中学2年だった'11年の春休み、友だちと甲子園へ選抜大会の観戦に出かける。このとき、前橋育英戦で史上初の1イニング3本塁打を立て続けに放った九国大付の破壊力に魅せられた。

「お父さん、ぼく、高校は九国に行きたい!」

3年に上がる前、古澤にそう言われた智規は、車に古澤を乗せ、片道8時間をかけて北九州市にある九国大付の若松グラウンドに向かった。

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