「探しものは何ですか 見つけにくいものですか」――。24歳の若者が透き通る声で軽やかに歌いあげた摩訶不思議な歌が、日本中の老若男女を虜にした。
詞に込められた優しさと皮肉
残間 '73年に発表された『夢の中へ』は陽水さんの曲のなかでも、数々のCMや番組で使われてきて、知名度が高いですよね。今年、リマスター版が発売されて改めて聴き込んだけれど、やっぱり素敵な曲。
川瀬 この曲は栗田ひろみ主演の『放課後』('73年、森谷司郎監督)という映画の主題歌でした。実は、レコード会社・ポリドール側のプロデューサーだった多賀英典さんが東宝側と話をつけてきて、曲ができる前に既に主題歌を歌うことが決まっていたんです。
それで井上陽水の名前で再デビューしてから2年目で、まだシングルのヒットのなかった陽水に、「この映画に合うキャッチーな曲を作ってきてくれ」と頼んだ。それで陽水が九州に里帰りして実家で作ってきたのが、この曲でした。
齋藤 前年発売のアルバム『断絶』に収録されている『人生が二度あれば』なんて、歌詞も音楽も、どこまでも重い曲ですからね。それに比べると、『夢の中へ』は、「♪テーレレレテレッテー」というイントロからして相当軽やかな印象を受けます。
それまでのアルバムからすると明らかに異質です。が、だからこそ、世間一般に広く受け入れられた。
残間 敬愛を込めて敢えて呼び捨てにしますが、私も根っからの陽水ファン。いままで彼のコンサートはほとんど観てきたのですが、この曲には特別な思い入れがあります。
思えば、私たち、団塊の世代は、常に「自立」と「自分探し」を強いられてきた世代。同世代の人数が多すぎて、自分がどこにいるのかわからない。「私は何者で、何をすればいいんだろう」と常に不安で自問自答していた。
そういう私たちに、陽水は「それでも探す気ですか?」と正面から投げかけてきた。この言葉はズシッと響きましたね。
齋藤 この曲は、アイデンティティを探しているような人たちに対して、一歩引いたところから歌っていますね。「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で」というのも、「皆さん、ちょっと力を抜いたらどうですか?」という意味でしょう。揶揄するわけでもなく、問いを投げかける。
残間 今になると、そこに陽水の、自分と同じ団塊世代に対する優しさと、ちょっとした皮肉があったんだろうな、とわかるんだけど、当時はそんなことは気にせずに歌っていました。
疾走するイントロ
齋藤 陽水さんの歌詞って、一言で言うと「軽くて、深い」。心にすっと入ってくる割に、突き刺さって抜けないから、誰もが自分を重ねて深読みしてしまうんです。
ゲーテが「詩は簡単だ。関係のない言葉を並べておけば、みんなが勝手に想像して考えてくれる」と言っていますが、陽水さんの歌はこれに通じるものがあります。
『夢の中へ』の場合も、結局何を探しているのかは最後までわからない。「カバン」や「机」に収まるものなのか、「はいつくばっても」見つからないものなのか。そもそも、「何か」を探している人物が男なのか、女なのかさえわからない。
何一つわからないからこそ、僕のような陽水さんと違う世代の人間でも違和感なく受け入れられる普遍性が出てくる。
残間 ありがちなメッセージソングのように、全部を決めてしまわないんですよね。「どうぞ皆さんご自由に考えてください」というスタンス。聞き手に「深読み」させる、禅問答みたいな趣があります。
川瀬 彼が作詞をするとき、他の歌詞は出来ているのに、一箇所だけ言葉が埋まらないことが結構あるんです。最終的に、そこに不思議な言葉が入れられていることがあって、そういう作り方が「深読み」につながっているんじゃないかな。