壇蜜が明かす驚きの過去「お金がなくて男性にすがる時期もありました」

バニーガール時代の秘話も公開!

私は“職業的ド変態”

結局のところ、私はずっと見ないフリをしていたのでしょう。16、17歳の頃にはすでにきっと自分は、人が「えっ?!」というような仕事に活路を見出すのだろうと、気付いていた気がします。でも、親が悲しむと思うと絶対に伝えられなかった。そんな不自由をしばらく抱えていたものです。

私は、いうなれば“職業的ド変態”なのでしょうね。苦しいことも身ひとつで稼ぐことも、私の中では全部同じ箱に入っていて、人に後ろ指をさされても、まあお金入ってくるし、と、くよくよせずにいられる。

そういった、職業に対する変態性みたいなものこそ自分の強みと自覚していますが、それに気付くのには10年以上かかりました。どんな仕事もすぐには自由になれないし、転職はすればするほど境遇が悪くなると覚悟していなければなりません。いくつもの職を経験してきた私ですが、やはり必ずしも転職=ベターとなる……ではないんですね。

職を転々としながら恋を育み、そして失い……、長年“男を変えてカギ変えて”といった暮らしでした。29歳で芸能事務所に入った時も、それまで3年ほど付き合っていた方とお別れをしまして。抱えるものが多すぎたのです。

恋を失えばどれほど仕事したって誰も悲しまない。だったらすり減るまでやってみようと、芸能事務所に水商売、大学病院の助手と、3つの仕事をいっぺんに決めたんです。遺体に触れた後に漫画喫茶でシャワーを浴び、それから水着の仕事へ、といった生活を3年ほど続けました。

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よく、それで得たものあるんですか? と聞かれますが、徹底的に大変な状況に身を置いたことは今の土台になっていると思います。あとは、“バニーガールの衣裳のしっぽは、乾燥機に入れると半分くらいに縮む”と学んだことくらいでしょうか。働き過ぎで、ほかは何も覚えていないんです。

事務所に入ってからも、自分が売れるかもなんてまったく思っていなくて、まあ3年くらいが潮時でヌードやってもう使えないと追い出されて、その頃にはバニーガールの仕事も辞めさせられるだろう。そうしたらまた新しいことをして生活していこうかな、などと考えておりました。

なんとでもなるというか、実際なんとでもなってきたし、自分でそうしてきたという自負もありましたね。一日で大金を動かすわけでも、多くの人に感謝されるようなこともないけれど、それでも誰かから必要とされる仕事をしていて、今はそれで生計が成り立っている。その事実だけが私の支えでした。

 

また一方で、家での家事とか、人に感謝を伝えるために書く手紙とか、人としてきちんと生きることを守らないと、こういう働き方はむつかしい。私にとって、家にいる時間は、過去と向き合う時間。自分自身のフィードバックとなる部分で、家事にはその最大の核があると思っています。

よく掃除ができない、片付けられないという悩みを聞きますが、掃除と片付けは違うかと。片付けは私もそんなに得意ではなくて、五芒星を書いてこんまりさんを召喚して助けてもらわないといけないレベル。

でも掃除は目の前のホコリをとったり、落ちているゴミを拾ったりするだけのこと。今よりきれいにしてみてといったらだいたい誰でもできます。そういえば、ある銀座のママに「家事ができない人はHがヘタ」と言われ、ドキリとしたことも……。