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日ロ関係と歴史の逆説 〜100年目のロシア革命再考

プーチンとレーニンを結ぶ秘密の館
下斗米 伸夫 プロフィール

ロシア革命とは何だったのか

たとえば、ソビエトという国家の呼称である。ロシア革命であらわれたソビエトも、もともとは教会を禁止された彼ら宗教的異端派のネットワークであったと思われる。

このソビエトという組織は、歴史上は日露戦争後の「革命」時に現れる。モスクワ郊外のイワノボ・ボズネセンスクという繊維の町ではじめて生じたことはスターリン時代の教科書にものっていて、ロシア労働者の「革命性」の現れと解釈されてきた。

今になって明らかになったことは、都市の呼称を翻訳すれば「ヨハネ昇天」というきわめて宗教的な都市、そして繊維工場のオーナー達が「ロシア帝国」を宗教敵と考える宗教的異端派だったこと、また女工を含む労働者の多くもまた古儀式派信徒だったことだ。

その後、第一次世界大戦で動員された700万もの農民兵が1917年の革命のさなか、この「ソビエト」をロシア中で大量に生み出した。この異端の信者だったコサック兵が、革命で重要な役割を果たした。

つまりは1917年のロシアにあらわれたソビエトという制度は、むしろ中世のロシア以来の伝統的な宗教共同体の再現であったともいえるのだ。

 

もっともこういった説は、一昔前だったらマルクスのパリ・コンミューンとかレーニンの「国家と革命」のビジョンを冒涜するものだと、学会でも批判されかねなかった。

筆者は、スターリンのナンバー2であったモロトフという政治家、革命家の事績をつうじて、このような逆説的な歴史解釈が可能なことを『ソビエト連邦史』の中で示した。

スターリンとモロトフスターリン(左)とモロトフ。1935年〔PHOTO〕gettyimages

モロトフこそ、古儀式派村の出身の革命のロシア人リーダー、1957年まで常にソ連共産党の主流派であった。我々はかつてグルジアと呼ばれたジョージア出身のスターリンの言説に幻惑されて、ロシア革命がきわめて「ロシア的」事象であったことを無視しすぎたようだ。

レーニンとプーチンを結ぶ館の秘密は、このような潮流からソ連共産党ナンバー2となったモロトフを通じて新たによみがえる。ちなみに、彼こそ、最初に「千島列島」への関心を公言した人物である。それは1940年のことだ。

ソビエト連邦史

(*本書のまえがきはこちらで読めます http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51006