大谷翔平に続け! 二刀流の「英才教育」は10歳から始まった

野球選手の人生は13歳で決まる(4)
赤坂 英一 プロフィール

野球に月15万円かけた

ここまでに鈴木が指導を受けたのは、元プロが8人、元社会人が1人。秀が鈴木の野球教育に投じた出費は月15万円にも上る。

その甲斐あって、鈴木が2014年に両親の郷里、福島の聖光学院へスポーツ特待生として進学したころには、先輩に交じってプレーできるほどに力をつけていた。

だが、鈴木にはまだ、中心選手となるために、絶対不可欠なものが欠けていた。聖光学院監督の斎藤智也が指摘する。

「ウチにきたころの駿輔は、はっきり言って自分のことしか考えられない選手でした。チーム全員に信頼されるような人間ではなかったんですよ。もっと優れた選手になりたい、プロに行きたいという飽くなき欲求、ひたすら一所懸命なところはよかった。

しかし、投手をやらせたら周りが見えなくなるんだ。独り相撲を取り始めて、無茶苦茶力んで四球を出し、あげく試合をぶち壊しにしてしまう。そんな自分勝手なところがありました」

おれは元プロに指導を受けた選手なんだぞと、思い上がっていた部分もあったようだ、と斎藤は推察する。そこで、鈴木をしばらく投手としては使わず、考え直す時間を与えた。秘かにこう懇々と諭したこともある。

「おまえがピンチになっても、内野手は誰もマウンドに行かねえ。勝手にやってろって、みんながシラケてるよな。おまえがそれだけ、信頼されてないからだよ。エースは勝ちゃいいってもんじゃない。おまえと負けたら仕方がない、おまえとなら心中できると、チームのみんなにそう思われるぐらいでなきゃいかん」

鈴木はやがて、自分が外野手で出場した試合では、マウンドで投手に声をかけてから守備位置に就くようにした。最初のうちこそぎこちなかったが、そのうち自分が投手をするときは、野手たちが声をかけてくれるようになった。鈴木が言う。

「聖光に来てから、自分は仲間の代表として投げてるんだ、という意識を持つことができるようになりました。自分より、バックの仲間を負けさせちゃいけないんだ、と」

どれほど天才児と言われても、進んだ先で必ず壁にぶつかる。最高峰のプロともなればなおさらだ。'14年秋のドラフト3位で九州国際大付高からソフトバンクに入団、松田宣浩2世と騒がれた古澤勝吾もそうだった。

(文中敬称略、続きはこちら

「週刊現代」2017年5月6日・13日合併号より

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