大谷翔平に続け! 二刀流の「英才教育」は10歳から始まった

野球選手の人生は13歳で決まる(4)
赤坂 英一 プロフィール

西本聖のアドバイス

高橋の教え子だったロッテ内野手・西岡剛(現阪神)と食事をしたこともある。西岡は、まぶしいほどカッコよかった。鈴木が言う。

「ロッテでレギュラーのショートとして活躍されていたころです。小学生のころ、西岡さんは一番の憧れの選手でした」

ロッテで投手コーチをしていた西本聖にもフォームを見てもらい、こうアドバイスされている。

「きみのように腕も足も長い子はオーバースローじゃなく、ちょっと腕を下げて投げたほうがいいだろう。その投げ方だったら、ナチュラルなシュートが投げられるから」

それ以来、鈴木の投球フォームはスリークォーターに変わった。ナチュラルシュートも決め球のひとつになっている。

鈴木は小学3年で東京中野リトルに入団、さらに小学5年になると、元西武、巨人選手で、楽天監督も務めた大久保博元の野球塾へ入った。

ここでは大久保をはじめ、元西武の犬伏稔昌ら元プロの選手から個人レッスンを受けることができる。これも大久保と秀の個人的つながりから実現したもので、鈴木は塾生第1号となった。

ここで、秀は驚いた。

「デーブ(大久保)さんに教わって2週間ぐらいで、明らかに駿輔の打球が伸びたんですよ。それまで外野フライだったのが、ポンポンとスタンドインするようになった。こんなにすぐ目に見える効果が出るなんて、プロは違うなあ、と思った」

 

犬伏がこう振り返る。

「ぼくは元捕手だったので、教えたのはもっぱら投球のほうです。センスがあることはすぐわかりました。ギクシャクした投げ方だったけど、こうしたらいい、と教えたらすぐにできる子だった」

中学に進んだ鈴木は、元巨人の桑田真澄が会長だったボーイズリーグ・麻生ジャイアンツに入団する。秀がここを選んだ理由は、長時間の猛練習を強制せず、4時間程度で効率よく練習していること。

それに、礼儀作法や社会常識、親や周りの人への感謝、グローブやバットを大事にすることなど、人生において最も大事な躾を重視していたからだ。三仁が言う。

「小学生のころまでは、よくケンカしてたんですよ。私が学校に呼び出されたこともあった。それが、中1になってから、ピタッと収まりました」

この麻生ジャイアンツで出会った打撃コーチ、元西武の野々垣武志が、鈴木にとって終生の師匠と言うべき存在になるのだ。その野々垣が言う。

「駿輔は生まれつき器用な半面、そのぶん手先に頼った打撃になりがちでした。そこで、上半身の体重がしっかり股関節に乗った状態で構えて、下半身主導で打つようにと教えたんです。

口で説明すると難しいんですが、駿輔は割と早く理解してくれた。たぶん、ぼくとフィーリングが似てたんでしょう。技術の向上には、指導者と波長や考え方が合うかどうかも重要な要素だと思います」

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