大谷翔平に続け! 二刀流の「英才教育」は10歳から始まった

野球選手の人生は13歳で決まる(4)
赤坂 英一 プロフィール

元新体操選手の母の教育

鈴木が生まれたのは1998年6月、父・秀が28歳、母・三仁が26歳のときだった。出生地は北海道だが、現住所は東京都練馬区で、両親はもともと福島出身である。

秀は若いころミュージシャン志望で、結婚当時は芸能プロダクションに勤務していた。野球少年の親としては珍しく、本格的なスポーツ歴はまったくない。

野球を見るのは好きで、広島カープのファンだった。仕事柄、有名なプロ野球選手とのつきあいも多く、これがのちに鈴木の野球人生にも大きな影響を与える。

そんな秀と対照的に、母の三仁は元体育会系のアスリートだ。しかも、三仁の父親、つまり鈴木の祖父は福島の伝統校・学法石川で野球をやっていた。また、祖父の兄の息子、つまり三仁の従兄は高校2、3年のとき、2年連続で甲子園に出場している。野球と馴染みの深い家系だったのだ。

三仁自身は中学から新体操をやっており、高校2、3年でインターハイに出場し、新体操の五輪選手も輩出した日本女子体育大学に進学。卒業後はスポーツクラブでインストラクターをしていたから、鈴木にとってこの母親は、野球人生で最初の、かつ最も身近な指導者だったと言っていい。

 

男の子の場合、体格や身体能力の遺伝子は母親から受け継ぐ割合が多いとされる。

新体操の選手だった三仁は170cmの長身で、息子が自分よりも10~15cmぐらい伸びる可能性があることも大学で学んでいた。そこで、まだ子供のうちは身長を伸ばすことを第一に考えていた、と彼女は言う。

「身体の外回りを筋肉で覆ってしまうと、内部の骨が縦に伸びなくなると思ったんです。器械体操も、筋肉質で身体の固い選手は小さい子が多い。野球にしろほかの競技にしろ、身長の高さは絶対的アドバンテージになるでしょう。だから、高校まではウエートトレーニングをやらせなかった」

そう語る三仁は、幼少期から母の手料理だけで育てられた。冷凍食品やジャンクフードなど一切口にしていない。そんな自分と同じ食育を、息子にも施すことにした。

「小さいころからカルシウム分の豊富な煮干しを食べさせました。身長を伸ばし、骨を丈夫にするためです。ミルミキサーで細かく砕いて、煮物や肉団子や味噌汁に入れてね。それから、よく豆乳も飲ませました。知人に教わった特別なパックを買って、駿輔が練習したあと20分以内におにぎりと一緒に与えるんです」

三仁はこう強調する。

「子供の身体にいい、と言われたことなら何でもやりましたよ。何が自分の子供に合うのかわからないし、やらないで後悔するのは嫌だったし」

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父の秀は、機会を見つけては鈴木がプロやアマの野球人と触れ合う機会をつくった。最初はまだ4歳のころに出会った巨人投手・入来祐作(現ソフトバンク三軍コーチ)である。自宅の前の駐車場で、三仁が鈴木にトス打撃の球出しをしていると、時々入来が見てくれたそうだ。

次にたまたまマンションの隣部屋にいた社会人・日立造船の元選手に野球を教わるようになった。彼が週3回、近所の公園でキャッチボールやゴロを捕る練習の相手をしてくれた。秀が振り返る。

「基本的なことはみんなその人に教わりました。おかげで、小学校に進学し、地域の学童チームに入るころには、小学3、4年生に交じっても見劣りせずにちゃんとやれるほどだった」

鈴木はこのころ、秀の知り合いで、当時ロッテのコーチだった高橋慶彦に練習を見てもらうようになった。当時、脳裡に刷り込まれたのが、高橋に言われたこの言葉だ。

「目標を高く持つことが大切だ。日本のプロ野球に入ろうと思ってるだけじゃプロ野球で終わる。しかし、メジャーリーグに行きたいと思えば、プロ野球は入って当たり前のところ。野球人生の通過点になるんだよ」

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