週休3日、定年廃止で業績が伸びた!ある地方企業の「逆張り戦略」

アキ工作社・松岡社長に聞く【前編】
松岡 勇樹 プロフィール

段ボールのマネキン製造を事業に

起業する前、もともと僕は建築家でした。大学を出て最初は東京で建築事務所に勤め、やがて独立してフリーランスで活動しているとき、たまたま今の妻と出会ったんです。

ちょうど妻が、毛糸を素材にニットのデザインをする仕事を始めた頃でした。そのうち、彼女が初めてニット作品の展示会をやることになり、展示用のマネキンを探すのを手伝ったんです。

ところが、面白いマネキンがなかなか見つからず、しかも借りても買っても高い。ならば僕が作ってみようと考えたのがスタートです。

当時の僕はフリーランスで、時間はあるけれどもお金がなく、「いかに安く作るか」が最大のポイントでした。いろいろな素材を見て回るうちに、安いのに加えて最も身近にあり、カッターを使って加工できるという点も気に入って、段ボールを使うことにしました。

後に「段ボールを素材に使うとは環境に優しい」などと誉めていただいたりもしましたが、本当の出発点はやっぱり「安い」という理由でした。

本来は梱包用の資材として大量生産され、単価が安くなる段ボールを、用途転換して立体の造形物に使う。そういう逆転の発想から、うちの会社のビジネスは始まったんです。

最初は段ボールで人体を作るとき、平面を折り曲げ、なるべく曲線に近似させようとしました。しかし、折り曲げて加工するやり方では、どうしても人間の身体のきれいなフォルムは出ない。

そこで発想を変え、いったん人体をCTスキャンのように輪切りにした1個1個の部品をたくさん作り、それらを再構築してマネキンにするという手法を採用しました。建築的な思考を生かして人体を組み立てたわけですね。

アキ工作社のマネキン

こうして、僕たちアキ工作社の立体造形システム「d-torso」(ディー・トルソー)のプロトタイプが生まれ、妻のニット作品の展示会が開かれました。1995年のことでした。ニットの評判も良かったのですが、マネキンも非常に好評で、「ぜひパテントを取って事業化するといい」と勧められました。

ただし、僕は当初、あまり乗り気ではありませんでした。ものを創ったり考えたりするのは好きだし、得意なんですけど、ものを売ったりお金の計算をしたりするのは不得意で、ずっと敬遠していた領域でした。なので、自分で事業化するつもりはなかったんです。

ただ、特許庁から「d-torso」の意匠登録は受けまして、いろいろな会社に「こういう立体造形システムを作りましたけど事業化しませんか」と持ちかけてみました。段ボール関連会社とかアイディアを扱う会社とか、十数社に案内を送ったんですが、ほとんど反応がなかった。たしか1社だけ、なぜか500円の図書カードを送り返してくれました。「よく頑張りましたね」という意味だったんですかね(笑)。

 

そういうことがあって次第に、せっかくのアイディアをこのまま埋もれさせてしまうのはもったいないと考えるようになりました。他にやる人がいなければ、しょうがないから自分で事業にしようか、と。

当時の僕はまだ東京にいたんですけど、ものづくりをやるために起業するんだったら、家賃が高い東京ではなく、自然環境が豊かな田舎でやった方がいいと思ったんですね。ちょうどインターネットも普及し始めて、ダイヤルアップでどこでもアクセスできる状況になっていました。

そこで1998年、自分の出身地である国東(くにさき)半島の、大分県国東市安岐(あき)町で起業しました。その町名にちなんで「アキ工作社」という社名にしたんです。

もし国東で建築の仕事を続けようとしても、クライアントが少ない田舎では難しかったと思います。しかし、ものづくりであれば仕事の場所を選ばないし、インターネット環境が整備されてきているので田舎でもやれる。そう考えたので、国東に帰ってこられたんですね。

しかも国東は大分空港が近くて、東京と往復したり海外に行ったりするときは非常に便利。逆に、陸上の公共交通機関は少なくて不便なのですが…。

(→後編「1000年単位の時間軸の中で働き、生きる」はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51653