復興相辞任のウラにある「本当の問題」〜日本の危機に気づいているか

強まりつつある国家権力の恐怖
山下 祐介 プロフィール

この仮説は恐い。しかしそれは沖縄でも顕著に表れつつあり、それどころか福島や沖縄を超えて、各地に色んな形で現れ始めている。筆者はそう感じる。

例えば大阪では、あの財務省が主権に近い者に忖度して、某学校法人と奇態な契約を交わして問題となっている。これも主権をめぐる強い力に従っておけば間違いないだろうという雰囲気がそうさせたものではないか。

さらに恐いのは、その裏側でいま組織犯罪処罰法改正法案(いわゆる共謀罪関連法案)が審議されていることだ。我々国民や政治家、そして官僚が毅然とした態度で主体的に職務を全うし、公に奉仕している状況であれば、共謀罪関連法などそれほど怖くはないのだ。

だがみなが排除・排斥を恐れ、人を見れば足を引っ張り、権力を見れば忖度をはかってしまわざるを得なくなっている状況で、共謀罪など導入すれば一体何が起きるか。

筆者は今、こうして書きながら、いつ自分にその排斥が襲いかかるのか不安でならなくなっている。

そしてその不安は同じくこの国の国民がみな共有しているものではないか。その排除への不安がさらに排除をエスカレートさせていく――私たちはまさに排除の悪循環の入り口に立っているように思う。

こうした排除・排斥(あるいはその反面である権力へのへつらいや忖度)で目の前の状況を乗り切ろうとする短絡的な思考から脱し、いかに現実に向き合い、お互いを認め合って、しっかり話をし、正しい問題解決の道へと導く適切な政策形成に努力する状況に立ち帰ることができるのか。

我々がいま考えなければならない真の課題はこれである。

 

資質の低い政治家を世論が官邸から追い出したなどと喜んでいる前に(そして筆者は、これまで同じように排斥された政治家がみな資質の低い人だったとは思えない)、私たちが本当に考えるべきこと、なすべきことはもっと別にあるはずだ。

このことを、この事件を分析する中から考え、広く訴えてみたかったのである。

5月3日の憲法記念日、その憲法を愚弄するかように首相はその改正の意義を高らかにうたった。

筆者はどちらかというと改憲必要論者である。だが、こういうやり方、いい方で進めるのなら、改憲はあるべきではないと思う。

憲法改正は誰かの思いでやるのではなく、国民の総意と納得で進めたい。でなければそれは主権による押しつけになろう。そして憲法の機能とは本来その逆のもの――主権を抑制するべきもの――のはずなのである。