復興相辞任のウラにある「本当の問題」〜日本の危機に気づいているか

強まりつつある国家権力の恐怖
山下 祐介 プロフィール

無茶な政策を無理矢理突き進めている

だが、さらに今回感じる問題は次のことだ。

第二に、すでに今回の復興政策は6年をかけて幾層にも積み上げられてしまっており、もはやこの帰還政策から引き返せない時点にまできてしまっている(ただし筆者は工夫次第でまだ引き返せると思うのではあるが)。

理想的なコミュニケーション状況ができたとしても、それは政策と現実の矛盾を顕わにするだけである。政府がその齟齬に向き合おうとすれば、政策の根幹から転換しなくてはならない。

今村氏が復興大臣に就任したのは平成28年8月。その時にはすでに政府の政策は帰還政策として確定していた。

そして今の復興庁には何の権限もなく、政府が決めたスキームを淡々とやっていくマシーンにすぎないのだから、大臣とはいってもとくに自分の思いで何かを変更できる立場にはなかったと思う。

とはいえ政策は現実と矛盾しているから、事態が進めれば進めるほど次々と現場との軋轢は大きくなってくる。

そして大臣は大臣だから、当然、その政策矛盾が引き起こす現実の問題についてはその責任追及の矛先が向けられていく。そうした責任追及をノラリクラリかわせばよいものを、今回は真っ向から真面目に挑んでしまった、そんなふうに見える。

はじめから実態にあわない無茶な政策を無理矢理突き進めているのだ。あとから来た大臣が矛盾なく答えられるはずがない。

ある意味ではこんな無茶苦茶な状況の矢面に立たされて、しかもしっかりとした権限――なかでもこの復興政策の方針転換を図る権限――も与えられず、ただ失敗する政策の責任だけを追及されるというのでは、復興大臣を任される人間は気の毒だという気もする。

 

この矛盾を強要している主権の力

だとすると、最大の問題は次のことになる。

この矛盾した政策を強要し、推し進めていく力とは一体何なのか、ということである。これが最後、三つ目に論じたい問題である。

この力が何なのか、筆者はいまその具体的な実像がよく分からないでいる。「一強」の力を振りかざす安倍政権なのか、それを支持する国民なのか、その両方なのか。いやまたその背後にはもっと別の何かがいるのか。

いずれにしてもこうは言える。我が国には今、この東日本大震災・福島第一原発事故の復興に典型的に見られるように、有無を言わせず無理な政策をゴリ押しする力が働いている。

それは「こうだ」と決まれば、異論を許さず、遮二無二それ一本で突き進んでいこうとする、非常に強い主権の力だ。

いま国家主権の力が異様なまでにふくれあがりつつある。

これは大変、危険な力だ。

国家主権は、たしかにこの国を守ろうとする力ではある。だがこの力は、必ずしも国民を守ろうとする力ではない。それどころか、国民を犠牲にしても国家を守ろうとする力である。

そしてそれは、この力を実際に現場で突き進める政治家をも守ろうとするものではなく、国家主権が進もうとする道を踏み外すような作動があれば、その者の意志がたとえ主権に忠実であろうともその者を容易に処分し、政治プロセスからはじき出そうとする、そんな力だ。

そして、その政治家が排除されたあとには、この排斥の事実がさらに人々を主権の力におもねる方へと導き、もはや国民も政治家も、自ら望むものとは違う方向へと国家を運営していかざるを得なくなっていくのではないか。

今回のケースは、そういう国家主権の非常に強い――そしてしばしばコントロール不能な――力の発動を垣間見せているもののような気がしてならない。