復興相辞任のウラにある「本当の問題」〜日本の危機に気づいているか

強まりつつある国家権力の恐怖
山下 祐介 プロフィール

政策コミュニケーションの断絶

冒頭に述べたように本稿の意図は今村元大臣の弁護ではない。ここで言いたいのは次のことだ。

なぜこれほどまでにお互いにみな言いたいことが言えないまま、遠慮し、探り合い、足を引っ張り合っているのか。どうしてここまで政策コミュニケーションがぎくしゃくしなければならないのか。

政治家とメディアとの間で言いたいことが言い合えなければ、まともな政策などできるはずがない。

何度でも言おう。この復興政策は失敗だ。

その失敗の理由は、この政策形成を牽引し実現してきたこれまでの政権にあるが、とともにその政権が政策を作る前提となる政策コミュニケーション状況の断裂にも大いに原因がある。

一体この断線、分裂はいつからなのか。

 

いつから?――という問いは、ここでは措いておこう。本稿では、どうして今これほどまでに政策コミュニケーションが寸断されているのか、それはどう回復可能なのかという点にだけ関心を絞りたい。

そして筆者が考えるに、少なくとも次の三つの問題が大きいと思う。そしてどうもその最後の問題が、筆者には耐えられないほどおぞましい感じがするのだ。

問題の一つは、そもそも現在の我が国には、どうも政策コミュニケーションというものがないのではないか、という点である。

政策コミュニケーションがないので、復興政策も形は出来上がっているように見えるが、実態は寸断されたガラクタの寄せ集めで、しかもそれを行政は金科玉条として遮二無二突き進む形に陥っているのである。

与野党間のみならず、与党自民党の政治家の間で、あるいは内閣と各省庁との間で、あるいは各省庁どうしの間で、さらには専門家たちと政策形成スタッフたちとの間で、しっかりとした議論があってこれだけの政策が決められてきたわけではない。実態は寄せ集めのつまみ食いにすぎない。

そして復興庁は政府が決めた政策をただ実行しているだけだ。我が国の政策には今、現場の実態から出てくる諸問題に対する反省が作動する余地がほとんど残されていない。

ただ最初に決まったことだけが、黙々と実行されていくだけだ。ここには政策コミュニケーションが恐ろしいほど不足している。

例を一つだけあげよう。そもそも先の閣議後の記者会見という場がそうではないか。これはいったい政策コミュニケーションなのか。

大臣が来てしゃべる。記者が質問する。大臣がそれに答える。が、それだけのことだ。

これに対し被災地に関わる事態はきわめて複雑で、各省庁の担当者でも誰一人全体が見えている者はいないはずだ。大臣一人で答えてもらっても、それでは十分な議論にはならない。

もっと政策実務者――各省庁だけでなく、現場となっている被災地の都道府県や市町村もふくめて――を交えて広く、深く質疑をやりとりする必要があるのではないか。

記者たちが現場から引き出してきた事実と疑問をぶつけ、それに政府が真摯に向き合い答えていく。答えられないものについては持ち帰り、矛盾が明らかとなればそれをふまえて政策を修正していく手がかりとする、そういう仕組みが必要だ。

だが記者会見にはそうした政策コミュニケーションへと誘う仕掛けもなければ、各問題を適切に理解するのに不可欠な専門家の存在もない。テレビの討論番組でもそうやっているのに。

今のやり方ではまるで大臣と記者との果たし合いである。これでは儀礼としては意味があっても、肝心の政策形成にとって実践的な意味はないだろう。

筆者は思う。

もっと各種の政策について、様々な立場の人々が集まって、情報や知見を寄せ合い、その善し悪しを検討・討議する場が必要だ。

そういう理想的なコミュニケーション状況を作ることを怠って、ただ互いに言い争っても、それは決してこの国の政策形成能力を向上させることにはつながらない。

その努力を怠っている限り、記者会見は「政府が決めた政策はこうだ」とゴリ押しする場にしかなるまい。