復興相辞任のウラにある「本当の問題」〜日本の危機に気づいているか

強まりつつある国家権力の恐怖
山下 祐介 プロフィール

③今回、大臣辞任に直接結びついた発言――大震災が「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」――についても同様に政府の立場がそうなのだと思うが、この点については少し角度を変えて論じておきたい。

というのもこの発言、各方面から批判に晒されているが、筆者自身はこの発言について同感だからである。いや震災直後、東北の被災地の皆がそう思ったのではなかったか。首都が無事だったので、その後も手厚い支援を東北は得られたのだ(拙著『東北発の震災論』参照)。あの年の3月、例えば主要道の啓開が半月ほどで行われたのも、首都が生きていたからこそだ。

他方でこうもいえる。首都直下型地震は近い将来必ずくる。東海地震・南海トラフ地震も近々くるといわれている。これらが起きれば、もう東北の復興など構ってはいられなくなる。これも真実だ。

「時間がない」――これは今村大臣がNHKでの討論後に筆者に述べた言葉である。

政府にある者としてそういう思いを持つのは、筆者にはよく理解できる(むろん、大臣の発言がそういう意図であったのかは筆者には分からない。ただし筆者は当日、人として今村氏におかしなものを感じなかったことだけは付け加えておきたい)。

 

不気味なのは物言えぬ雰囲気への移行

このように、今村元大臣は政府の決めた政策を真面目に遂行しようとしていただけなのだと筆者は見ている。むろんそう言ったからといって、②の発言を引き出した記者のように執拗に質問をするのは良くないと言いたいわけではない。むしろ筆者が言いたいことは逆だ。

他の記者たちも彼のように「出ていけ」といわれるぐらい、もっとどんどん追求すればよいのだ。大臣を追求し、しどろもどろになり、質問を持ち帰る――その過程で「失礼だ。二度と来ないで下さい」と声を荒げたとしても、また次の会見では「また君か、今日もよろしく」と、再び侃々諤々議論をしていけばよいのだ。

だがどうも震災後のある時点からメディアは政府の反感を買うことを恐れ、世論の反発を恐れ、かつ被災者の感情を傷つけないかを極度に恐れて、歯切れの悪い論調を繰り返すようになってしまった。

今、災害報道は極度の遠慮のうちに行われているような気がする。だが東日本大震災・福島第一原発に関しては、もはや議論に遠慮をしてはいけないのだ。

この復興政策は失敗である。はっきりとその原因を正し、あるべき方向へと転換させなくてはならない(拙著『「復興」が奪う地域の未来』参照)。

そういう意味では②のケースでは、自主避難者の問題よりも、もっと強制避難者の今後についてこの復興政策の根幹に関わる厳しい質問が出てよかったのではという気持ちもある。

ともあれ筆者はここで、大臣と記者が声を荒げる議論をしたことは、本当は良い兆候にもなりえたのではないかと思ったりもするわけだ。むろんそれはその後の大臣の対応次第であり、かつその大臣が辞任して全ては振り出しに戻ったわけだが……。

さてそう考えていくと、今回辞任につながった③の発言についてのメディアの扱いの方が、筆者には不気味な感じがするのだ。

大臣の発言はたしかに誤解されうるものである。だがそれを「被災者の気持ちを傷つける」といったような形で引責させるのはいかがなものか。

これでは失言を恐れて、政府の方でも本当に考えていること、進めている論理を正直に言わずに誤魔化したり黙ったりしている方が得策になるではないか。

だいたい「被災者」とは誰なのだ。政府の今のスキームでは現地帰還をあきらめ、移住を決めればもうふつうの人になるというのに。

被災者が、被災者がと、ありもしない被災者の像を構築して、政治家のみならず、多くの人々の発言を抑制し、思考の展開を阻み、あるべき復興の姿、本当の被害者救済の道をいっこうに真剣に追求しようとしない今の状況こそ、よほど問題なのではないか。