憲法9条の「本当の意味」をそろそろ直視しませんか?

解釈タブーとロマン主義を超えて
篠田 英朗 プロフィール

憲法解釈のタブー

9条解釈の最大の障害は、「9条は世界に類のないすごい理想主義条項で、だから日本はすごい国だ」と信じたいというロマン主義的な願望である。

実態は、「日本よ、二度と国際法を無視するな、くどいようだが念のため戦争違法条項を憲法に入れておく」といったものだろう。寂しい言い方かもしれないが、政治的修辞や大衆操作の要素を取り除けば、中核にあるのは全て「国際法の遵守」である。

そこで9条ロマン主義学派は、国際法では禁じていない自衛権と集団安全保障参加を憲法が禁止している、という解釈を強硬に主張する。つまり国際社会と協調して行動することを禁止しようとする。集団的自衛権は違憲だという議論もこの一環だ。

「主権国家の固有の自己保存の権利としての個別的自衛権は保持しているが行使は出来ず、集団的自衛権の行使は自然権的なものとは言えない……」といった、実定法規定から逸脱した、質の悪い哲学青年の作文のような議論が、数十年にわたって積み重なった。

もはや「あの偉い〇〇先生が……」「過去の答弁は……」といった話から切り出すのでなければを、何も語れないところにまで、関係者は追い詰められた。

全ては、9条を世界最先端の類例のない条項だと信じたい、というロマン主義的な願望を維持するためである。この9条ロマン主義に反する言説は、憲法解釈のタブーとなった。

 

ところで憲法解釈におけるもう一つのタブーは、アメリカの占領政策をふまえた憲法解釈である。その背景には、いわゆる「押しつけ憲法」論に対する70年にわたる恐怖があるのだろう。

しかし世界の数多くの憲法は、様々な他国の憲法の影響を受けて制定されている。

紛争後平和構築の一環として法整備を図り、憲法を策定し直す際に、外国人が助言を提供したり、支援を施したりするのは、広範に行われていることだ。わざわざそのような事態を問題視していたら、世界の数多くの憲法を片っ端から告発しなければならない。

関係者の国籍にかかわらず、憲法制定の趣旨は冷静に把握するべきだ。あえて言えば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する事例か、という、憲法の理念にのっとった、実質審査で対応すべきだ。

憲法学の教科書を読むと、フランス革命が起こって、日本国憲法が制定された、といった非歴史的記述が、普通のこととなっている。フランス革命と日本国憲法の間の出来事は、ほとんどすべて余計な雑音のような扱いだ。

だが世界のほとんどの国は、そのような世界最先端ではないところで生きている。ロマン主義的な解釈へのこだわりを捨て、世界のほとんどの国々とともに、One of themとして生きていく覚悟を定めるならば、憲法の国際協調主義は甦る。

9条ロマン主義が約束するのは、独善的な名誉ある孤立だけではないか。