共演をきっかけに世紀のビッグカップルが誕生! まさにドラマの世界のような出来事に日本が沸いた。二人を中心に繰り広げられた伝説の恋物語を振り返る。
沼田 『男女7人夏物語』が放送されてから、早いもので31年になります。当時、私は入社したばかりで、初めて制作に関わった番組があのドラマでした。
生野 私は赤坂周辺を歩いているときにプロデューサーの武敬子さんから声を掛けられ、「鎌田(敏夫)先生を押さえたから、アンタ、撮ってよ」と頼まれたんです。それで脚本家の鎌田さんにお会いすると、その時点で主役が明石家さんまさんで、相手役に大竹しのぶさんというキャスティングは決まっていました。
沼田 ただ、しのぶさんの事務所からはなかなかOKの返事をもらえませんでした。「お笑いの人が主役の作品には出せない」というのがその理由です。でも、鎌田先生の頭にはしのぶさん以外なかった。
最終的には、「主役はお笑いの人でもいいけれど、鎌田先生が私を主役として書いてくれるなら」としのぶさんがおっしゃってくださった。
小川 私の場合、完全に業務命令でした(笑)。当時、私は『モーニングEye』という朝の番組でレポーターの仕事をしていたけれど、お芝居はまったくの素人。鎌田さんからお話をいただいた時に「私、断れないんですか?」って聞いたのですが、結局、そのままの流れで決まってしまいました。
私に声をかけてくださったのは、普通に近い女性を探していたからだと思います。はじめ私の役には阿川佐和子さんの名前もあがっていたんですよね。
沼田 そうなんです。キャスティングは基本的に鎌田先生主導で進められました。鎌田先生は必ず直接会って話をしてから決めるんです。
生野 最初にシナリオを読み、キャスティングを聞いたときから「いままでにないドラマになる」と手ごたえを感じていましたが、メインキャストが集まって初めて立ち稽古をやったときにその思いを強くしました。
松田聖子流に言うと、主役の二人のやり取りと7人のコンビネーションを見て、「ビビビッ」と来た(笑)。特に、さんまさんとしのぶさんのコンビは、掛け合いのリズム感が抜群に良かった。