ルペンの正体(1)成り上がり政治ファミリーの系譜

父が「国民戦線」党首になるまで
国末 憲人 プロフィール

「国民戦線」の雇われ党首に

ルペンが当初所属したプジャード派からまもなく離れたように、戦後フランスの右翼界は様々な派閥が並び立ち、合従連衡を繰り返していた。

その中で、「西欧」(オクシダン)という名の組織が比較的強い勢力を持っていた。学生団体を起源とし、人種主義、反民主主義、ファシズム受容を基本とする組織で、カルティエ・ラタンで左翼学生と衝突するなど暴力沙汰をしばしば引き起こした。

このメンバーが中心となり、支持を広げようと右翼団体「新秩序」(オルドル・ヌーヴォー)を発足させたのが1969年である。

その多くは20代の若者で、事実上の指導者であるアラン・ロベールも24歳に過ぎなかった。翌年、左翼学生運動出身で右翼に転じていた反ユダヤ主義作家フランソワ・デュプラがこれに合流した。

「新秩序」は、さらに支持を広げようと、各地の選挙で候補者擁立を試みた。しかし、得票は概ね1%未満と低迷し、泡沫の域を出られなかった。

この状況を脱しようと浮上したアイデアが、傀儡政党を設立し、本体の暴力的な面をカムフラージュする戦法だった。

本当の指導者たちが地下に潜行して破壊活動を展開する一方、政党は議会や記者会見の場で言論闘争を展開する。スペイン東北部バスク地方の独立を求める「バスク祖国と自由」(ETA)や北アイルランドのカトリック過激派「アイルランド共和軍」(IRA)といったテロ組織も使った手法である。

こうして1972年、「新秩序」の政治部門が発足した。これが「国民戦線」である。ここに党首として招かれたのがジャン=マリー・ルペンだった。

弁が立つルペンは当時、「新秩序」にとって都合のいい人物に見えた。つまり操り人形と見なされたのである。

(→第2回「一家を襲った爆弾テロ」はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51599