ルペンの正体(1)成り上がり政治ファミリーの系譜

父が「国民戦線」党首になるまで
国末 憲人 プロフィール

いわゆる「成り上がり者」

ブルターニュ地方は、農漁村が点在する穏やかな田舎である。カトリック信仰が篤いことでも知られる。大西洋に面して古くから英国や米大陸と結びついたことから、人々は比較的オープンで、差別や偏見が少ないといわれる。

ブルターニュの地図ブルターニュ地方〔図〕Wikipediaより

そのような気質も影響しているのだろう。ブルターニュはフランスで最も国民戦線支持が薄い地方でもある。

半島の南岸に位置する漁村トリニテ=シュール=メールも、例外ではない。私が訪ねた2007年、地元村議会に国民戦線の議員は1人もいないと聞いた。マリーヌの父、ジャン=マリー・ルペンことジャン=マリー=ルイ・ルペンは、1928年にこの村で生まれた。

村の中心に、第二次大戦で戦死した人々を悼む碑が立っている。ここに、ジャン・ルペンの名が刻まれている。ジャン=マリー・ルペンの父親である。

父ジャンは、ドイツ軍と勇ましく戦って死亡したわけではない。漁民だった彼は、シタビラメ漁の途中で網に機雷を引っかけて爆発させてしまった。息子ジャン=マリー14歳のことである。ただ、父が戦死扱いされたことで、息子は公的な援助を受けて学業を続けられることになった。

この世代のフランスの政治家で、ジャン=マリー・ルペンのような苦労を味わった人は少ない。後の大統領フランソワ・ミッテランに代表される地方の名家出身者か、やはり大統領になったジャック・シラクに代表されるパリのブルジョワ家庭の出身者が、政治家のほとんどを占めていた。

フランスは長年、階級社会の伝統を引きずっていた。日本や米国のようにみんなが平等に競争する社会ではなく、金持ちの子は金持ち、インテリの子はインテリであり、労働者の子は労働者への道を歩むのが普通だった。

政治家は金持ちかインテリの家庭の出身者が目指す地位であり、ルペンのような庶民に開かれた職業ではなかった。

 

逆に見ると、庶民の世界から必死に這い上がった者特有の矜持が、ルペンの活力を支えている。上品とは言えない言動の背後にも、「恵まれた他の連中とは違う」といった自意識が見え隠れする。

ちなみに、米国の大統領ドナルド・トランプであれ、英国で欧州連合(EU)離脱を掲げた政党「連合王国独立党」(UKIP)党首だったナイジェル・ファラージであれ、ポピュリストと呼ばれる人のほとんどは、代々政治家の家系でもなければ、良家の出身でもない。庶民の世界出身のいわゆる「成り上がり者」である。そうでなければ、庶民の味方を演出しにくい。庶民の側も、ポピュリストが自分たちと同類であると知っている。

ポピュリストたちが信じるのは、何よりも自らの力である。だから、一つ間違えば危うい方向に進んでいた人が少なくない。米大統領トランプは少年時代、教師を殴るなどとんでもないガキ大将で、父親によって軍隊式の私立校に放り込まれて根性をたたき直された。

ルペンの場合も、仲間とつるんでけんかやかっぱらいに明け暮れる手の付けられない暴れん坊だった。頭の回転が速く、特にラテン語、ギリシャ語、弁論で好成績を収める一方、教師としばしば衝突して地元の学校を転々とした。

その後、つてを頼ってパリ近郊の高校を卒業し、パリ大学法学部に入学した。