いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流

教団は衰退、しかし思想は拡散…
島田 裕巳 プロフィール

衰退が思想拡散の契機

あるいはこうも考えられるかもしれない。

生長の家の教団が谷口時代のような主張を展開していたとしたら、時代に取り残されていくことは避けられない。

過激な天皇信仰は、現在の天皇の姿を考えれば成り立たないし、支持を得られない。

冷戦構造が崩れた以上、共産主義の勢力や左翼を徹底して攻撃しようとしても、相手がいなくなってしまったわけだから、社会的に意味をなさない。

その点で、生長の家の教団が衰退していくのは必然である。社会的な存在価値を失ってしまっているからで、路線の転換も、それが深く関連する。

ところが、谷口時代に入会した生長の家の会員は、たとえ組織に残っていようと、そこから出てしまっていたとしても、依然として、谷口の政治思想を内心では支持し続けている。だからこそ、日本会議を動かすような人物が生まれてくるわけである。

その点では、谷口の右派的な政治思想を持つ人間たちが、たんぽぽの種が風に乗って飛散していくように、教団の衰退を機に日本社会に散らばったとも言える。

逆に、生長の家がかつてのような形を取り、会員たちを組織につなぎ止めておいたならば、そうした飛散は起こらなかったかもしれない。

政治的な場面では当然だが、明確な主張をもっている人間は、曖昧な主張しかもっていない人間よりも強い。

明確な主張を持つためには、思想的なバックボーンが必要である。冷戦が続いている時代には、自由主義と共産主義が対立し、それは、国家同士の争いにとどまらず、国内の組織同士、あるいは個人間の対立を生むことになった。

生長の家の政治思想は、共産主義の政治思想に対立するもので、谷口が生きていた時代には、それぞれの側の思想が、その陣営に属している人間の考え方を規定していた。

ところが、冷戦構造が崩れてから、共産主義の思想は力を失い、それと同時に、リベラルな思想をも弱体化させた。

現実の政治の世界を見ても、確固とした思想を持つ政治家はほとんど消えてしまった。野党が成り立たないのもそれが関係する。

その中で、生長の家の思想は依然として力をもっている。

戦後、この思想が復活し、力を持ったのは、冷戦の深化という事態が背景にあったからだ。

今や、アメリカ、ロシア、中国という大国同士の対立が日本の政治状況にも強く影響しつつある。そのなかで、ナショナリズムの傾向が強い生長の家の主張、宗教を背景とした右派的な政治思想は力をもち得るようになってきた。

こうした状況は、今後も長期にわたって続く可能性がある。私たちは、飛散した種がどこでどういう形で芽を吹くかに注目しておかなければならないのである。

代表的教団の教祖誕生から死と組織分裂、社会問題化した事件と弾圧までの物語をひもときながら、日本人の精神と宗教観を浮かび上がらせる