いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流

教団は衰退、しかし思想は拡散…
島田 裕巳 プロフィール

戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。

そして、東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された。

1964年には、「生長の家政治連盟」を組織して国会に議員を送り込んだ(所属は自由民主党だった)。

1966年には、「生長の家学生会全国総連合(生学連)」が組織され、これは左翼の学生運動と激しく対立した。当時、谷口は、左翼の学生運動を生んだ原因として戦後の憲法体制を激しく攻撃した。谷口の主張は、明治憲法の復活であった。

 

政治思想を持つ教団

新宗教が政治にかかわる例はある。

戦後すぐの時期には、天理教なども国会に議員を送り込んでいる。その後は創価学会が公明党を組織し、その公明党は現在自由民主党と政権を組んでいる。国会にはまだ議員を送り込んでいないが、幸福の科学も幸福実現党を組織し、数人の地方議員を抱えている。

その点では、生長の家は特殊ではないし、政治的な影響力では、創価学会の方がはるかに大きい。

しかし、これは多分に誤解されている部分でもあるのだが、創価学会自体はさほど政治には関心をもっていない。それは会員全体について言えることで、創価学会の会員が関心を持っているのは、政治ではなく選挙なのである。

選挙で公明党の議員に勝たせる。それも候補者全員を当選させることが第一の目標であり、それだけを求めているとも言えるのだ。

客観的な研究者の視点から、現代日本社会における創価学会の「意味」を明快に読み解いた格好の入門書

そのため、創価学会の会員は公明党の政策についてもさほど関心を持っていない。それは、公明党がかつて日米安保の即時破棄を主張していたところにあらわれている。そんなことは、当時の創価学会はまったく主張していなかった。

これに対して、生長の家の会員たちは、谷口の政治的な主張に共感し、生長の家政治連盟がそれを国会の場で具体化することを求めていた。生長の家の会員であるということは、生長の家の政治思想に共感し、それを支持するということを意味した。

私の知人も、谷口の時代に入会しているとすれば、その政治思想を依然として共有しているに違いない。それが、その人物が退会しない根本的な原因ではないか。

教団のあり方がどう変わっても、自分は変わらない。その証として会員であり続けているように思えるのだ。たとえ、その人物が生長の家を辞めたとしても、政治思想は変化しないだろう。

最近になって宗教右派として注目を集めている「日本会議」の事務局には、生長の家の会員で、生学連のメンバーであった人間たちが入っているとされるが、彼らは、生長の家から離れても、会員であった時代と同じ政治思想を持ち続けているわけである。