朴槿恵は完全な操り人形だった!「洗脳40年」驚きの真相

謎の死を遂げた告発者の証言を入手
金 香清 プロフィール

朴槿恵とは何者なのか

朴槿恵はなぜ、崔太敏—崔順実親子の私利私欲のために、なすがままになってしまったのだろうか。それは彼女の生い立ちにも関係している。

彼女は20代の若さで両親を失っている。母親の陸英修は1974年、演説中の朴正熙大統領を狙った暗殺犯の銃弾によって命を失った。

 

朴槿恵が崔太敏に洗脳されたのは、1975年に崔が「お母さまの声が聴きたいときは、私を通せばいつでも聴くことができます」と、手紙を送ったのがきっかけだとされている。

朴槿恵Photo by GettyImages

彼女はすぐに崔太敏を青瓦台に呼び寄せるのだが、その後まもなく崔太敏は「大韓救国宣教団」という宗教団体を立ち上げ、大統領の娘・朴槿恵を広告塔に、「人と金」を集めることになる。

そして1979年に、今度は父親の朴正熙が腹心中の腹心とされた中央情報局(KCIA)の金載圭部長に暗殺される。悲劇的とも言える形で両親を失った朴槿恵は、その後、身内を極力避けて生きて来た。大統領に就任した後も、身内を青瓦台に呼んだことは一度もない。

韓国の政治史を振り返ると、身内による不正に問われた大統領は少なくない。その点、独身で身内とも距離を置いている朴槿恵は不正を招きにくく、金にクリーンであることが期待された。

しかし金のみならず、国政にまで私人を介入させるという前代未聞の事件を起こしてしまったのだ。

「血より濃い水もある」

韓国で”新しい格言”が生まれた。

朴槿恵はなぜ大統領になれたのか

朴槿恵が身内を遠ざけたのは、自らの意思というよりは、実はここにも黒幕の思惑が反映されていた。

1984年、盧泰愚(ノ・テウ)大統領は朴槿恵と崔太敏との関係を青瓦台の秘書室に調査させている。その報告書には、崔太敏が朴槿恵に

「神の啓示によって何年間か耐えれば女王になれる。だから、親戚も含む外部の人間に会うと、不正を招きかねないから避けるように」

と指示したと書かれている。

要は、崔太敏が朴槿恵を操るには身内が邪魔だったということだろう。

こうした崔太敏の狡猾な人心掌握は大成功したようだ。崔は朴槿恵の名を利用して人を集め、時には詐欺も働いた。そして、崔太敏の力は彼が死んだ後も娘・崔順実を通じて生き続けた。

朴槿恵と崔一家の関係について指摘した人物は、チョ・スンジェだけではない。1990年には朴槿恵の妹と弟が盧泰愚大統領に「姉と崔一家を引き離してほしい」と嘆願書を提出しており、2007年にはハンナラ党の党員がやはり崔一家との問題を提起し、名誉毀損で逮捕されている。

また、2014年セウォル号事件の際には、崔順実の夫・鄭潤会による国政介入の疑惑が浮上したが、問題にかかわった警察官は自殺をし、それを報じたメディアはひそかに制裁を受けた。

朴槿恵と崔一家の問題への指摘は全てうやむやにされてきた。だが、朴槿恵に近かった政党関係者は崔一家の存在を知っていたはずだ。それなのになぜ、朴槿恵は大統領にまで登りつめられたのか。そこには、保守政党の後押しがあったからにほかならない。

朴槿恵は「選挙の女王」とも呼ばれ、まさに出れば勝つ政治家だった。彼女の強さの秘密、それは「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を成し遂げた朴正熙の娘だったからという一点に尽きる。韓国の多くの高齢者は、朴正熙時代の栄光を誇りに思い、そして若くして両親を失った朴槿恵に同情し、「朴正熙神話」を重ね合わせ、彼女を奉った。

結局、国民の信じた「神話の復活」は、操り人形による幻にすぎなかったのだ。

朴槿恵 心を操られた大統領