元巨人・前田幸長が語る「プロで通用する中学生」の見抜き方

野球選手の人生は13歳で決まる(3)
赤坂 英一 プロフィール

そんな高松屋より一足早く、この春都築の母校へ進んだのが1年先輩の内野手・前田聖矢である。ほかでもない前田会長の次男だ。日大三高のグラウンドで、今年秋のドラフトの目玉とも言われる金成麗生、櫻井周斗らとともに汗を流している。

1年からレギュラーになる自信はあるかと聞くと、「あります」と即答した。監督の小倉全由は春夏合わせて14回甲子園に出場、夏の優勝2回、春の準優勝が1回という実績を誇る。

「そういう監督さんなので、自分らの代でも優勝したいですね」と聖矢は言った。

前田聖矢もまた高松屋と同様、一見しただけでスケールの大きさを感じさせるようなタイプではない。169cm、70kgという体格は、今時の高校1年としても小柄な部類に入る。

それでも、スイングはシャープで、足も速い。都筑中央ボーイズでは、1番・セカンドでレギュラーとなり、主将としてチーム全員を引っ張った。本人が言う。

「日大三高の監督が来られたときも、最初はほかの選手を見に来ていたんです。そのうち、ぼくも声をかけられて、日大三高、ユニホームもカッコよかったんで、ここならいいかなと思いました」

突出したパワーや体格はなくとも、元プロの父から受け継いだセンス、その父によって築かれた基礎と土台が、聖矢にはある。地力にかけては、今年の日大三高1年の誰にも引けを取らない。

 

好きじゃないと続かない

聖矢が生まれたのは、父の前田がまだ現役で、中日に在籍していた2001年6月だった。4人きょうだいの4番目で、姉がふたり、兄がひとりいる。

野球を始めたのは小学2年のころで、本人曰く「気がついたらやってたみたいな感じ」だという。が、父の前田は、聖矢が野球が嫌いにならないよう、努めて慎重に指導していたそうだ。

「聖矢よりも6歳上のお兄ちゃんにも野球をやらせたんですけど、ぼくが厳しくし過ぎて失敗したんですよ。ぼくが親父にしばかれて野球を仕込まれたもんで、長男もついビシバシ鍛えたら、中学時代に結構反発されちゃった。怒り方を間違えたんだと思います。幸い、野球をやめるところまではいきませんでしたが」

長男は腹が立つことがあるとすぐに叱りつけたが、聖矢については少々ミスをしても我慢した。長男には自分と同じ投手をやらせていたが、聖矢に「投げるより打つほうが好きなんだよ」と言われると野手をやらせた。

そして、前田自身が'08年に現役を引退してからは、打撃投手をしたりティー打撃の球出しをしたり、解説者や大学准教授などの仕事の合間を縫っては聖矢の指導を続けた。

それだけ苦労した甲斐あってか、聖矢は小学6年で「もう炭酸(飲料)はやめた。マック(ハンバーガー)も食べない」と言い出す。

そこで前田も「じゃあ、お父さんもコーラやジャンクフードは卒業だ」と宣言、そうした小さな努力をひとつひとつ重ねて、ようやく日大三高へ入れることができたのだ。

もっとも、聖矢は苦笑いして言う。

「受験勉強するのがめっちゃ大変でした。2年の後期までひどい成績で、3年1学期も悪かったらもうダメだと言われたんで、それから猛勉強しました。数学と英語の家庭教師に来てもらって」

そんな聖矢と高松屋に共通しているのは元プロの指導で素質を伸ばしたことだ。福島の強豪・聖光学院にも、中学時代に元プロの薫陶を受け、今春の根尾昂よりも1年早く、甲子園で鮮烈な「二刀流デビュー」を果たした選手がいた。

(文中敬称略、第4回はコチラ

「週刊現代」2017年4月29日号より