元巨人・前田幸長が語る「プロで通用する中学生」の見抜き方

野球選手の人生は13歳で決まる(3)
赤坂 英一

高松屋を直接指導しているのは、投手コーチの門西明彦だ。高校卒業後に社会人の三菱重工横浜へ入り、肘を4度も手術して18年間も投げ続けた苦労人である。その門西が、高松屋の持つセンスのよさをこう説明する。

「彼は、ぼくが最初見たときからテークバックが小さくて、コントロールがよかったんです。

ぼくも会長(前田)もそうなんだけど、投手をやれる子は何も教えられなくても、生まれつきコントロールが優れている。ストライクは取ろうとしなくても自然と取れちゃう。だから、投手をやるわけですよ。

全体のバランスもいいから、変にいじったりせずこのまま育てていこうと思いました」

その生まれつきの素質は、両親から引き継いだものだろう。高松屋は2002年4月、父・嘉宏(49歳)、母・初子(46歳)との間にふたり兄弟の次男として生まれた。

両親ともに若いころからバスケットボールをしており、そろって強豪の富士通に入社、嘉宏はノンプロ、初子は日本リーグのチームでもプレーしていたほどだったという。

プロ野球のスカウトは必ず、獲得したい選手の両親のスポーツ歴をチェックする。とりわけ男の子は母親の遺伝子を受け継ぐ確率が高い、というのが、西武、ダイエーで辣腕で鳴らした根本陸夫(故人)の持論だった。

その伝でいけば、高松屋が生まれつき優れた運動神経を持ち合わせていることにも合点がゆく。

 

中学時代に覚えるべきこと

もっとも、エースへの道程は平坦ではなかったらしい。門西が言う。

「中1のころには制球を乱し、四球を出すこともありました。もっと速い球を投げたかったのか、だんだんテークバックが大きくなって、腕を振り回すようになったんですよ。ひどいときは全体のバランスが崩れて、球がブルペンから飛び出してベンチに突っ込んだり。これはヤバイと思った」

門西はいったん高松屋に投球練習をやめさせ、ふたたびキャッチボールに専念させる。さらに、近距離からネットに向かって投げる練習で本来の投げ方を思い出させた。監督の都築が振り返る。

「そうしてコントロールが安定すると、中2から高松屋がエースになったんです。上にエース格の右投手がふたりいたんだけど、安定感で高松屋が上回った。

走者を出しても冷静で、自分でゲームをつくれるし、ピンチでも顔色ひとつ変えない。だから、頭がよくて、芯も強いんでしょうね」

練習態度も真面目だ。勉強があるため土日しか練習に来られない選手も多い中で、高松屋は月曜以外、平日午後4~7時の練習にも必ず参加している。

都築がとくに感心しているのは、「ぼくが言わないと走らない子がいっぱいいるのに、いつも自分から黙々と走っている」ところだという。

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こうして野球への取り組み方、正しいフォームや練習方法を中学時代に覚えさせることがいかに大事か、前田が言う。

「今時の高校では、強いところほど、ウチでやってるような基本は教えてません。野球のうまい子ばかり集まるので、最初から結果を求められる。試合で使える子、使えば勝てる子が優先的にチャンスをもらえる。高校はプロと同じで待ったなしなんですよ。

そこで埋もれてしまわないために、中学でしっかりと基礎と土台をつくっておくことが重要になるわけです」

中学に進むとき、都筑中央ボーイズを選択したのは高松屋自身だった。父が家から通えるチームを調べ、いくつかの候補を出された中から決めたそうだ。本人が言う。

「指導者がプロに行っている人が多いので、ここでやろうと決めました」

自分も将来はプロに行きたいのですかと聞くと、「はい」と答えてうなずいた。もっとも、父の嘉宏は「私は初めて聞いたので、まだ何とも言えませんね」と苦笑いしている。

来年どこかの強豪高校に進もうにも、いまは昔のようにスポーツさえできれば無試験も同然で入れる時代ではない。たとえ特待生でも、入試で合格点を取らなければ落ちてしまう。そのため、高松屋は野球の練習後、数学、英語、理科、社会の塾にも通っている。

母の初子がこう言う。

「練習が終わったら車で迎えに来て、家に帰る間に私が作ったおにぎりをふたつ食べさせて、帰ったら着替えさせてまた塾へ送り出す。週に2日か3日はそんな感じです」

思わず、大変ですねと言ったら、「いえ、練習も勉強もやってるこの子のほうが大変ですよ」と母は笑った。

野球で大成するには、自分のセンスを伸ばしてくれる指導者に加え、こうした家族の支えも不可欠なのだ。