南スーダンで私たちが思い知らされた国連PKOの「限界」

それでも日本は情勢悪化を認めない…
栗本 英世 プロフィール

死者1000名、牛10万頭を掠奪…

まず、当時の南スーダンは内戦状態にはなかったとはいえ、市民(村人)のあいだで、これだけの犠牲が生じる武力紛争が生じていたという事実を認識しておく必要がある。

いずれの場合も、攻撃側は自動小銃で武装した数百名を動員し、ほとんど無人の原野を徒歩で200キロメートル以上移動する。南スーダンの人びとは、こうした優れた身体能力を備えている。武装集団の移動を予想し追跡することは困難であり、紛争を予防すべき政府と国連にとっては、深刻な課題だった。

UNMISSが活動を開始したジョングレイ州は、こうした緊迫した状況下にあった。UNMISSの要員は、ムルレとヌエルの村々を訪問し、首長、長老、若者、女性たちと話し合い、現状を把握するとともに、和解と平和の重要性を認識してもらえるよう説得を試みた。

ジョンソン自身も、こうした機会にたびたび参加した。また、両民族の代表を集めた和解平和会議の開催を支援した。

 

ジョングレイ州では、こうした和解と平和のための活動を展開することじたいが物理的に困難であった。人口密度は低く、集落は原野や湿地のなかに散在している。道路網が未発達で、とくに5月から10月にかけての雨季には、原野の踏み跡のような道路は交通不能になる。

ムルレ人の行政中心地は、ピボールという町だ。白ナイル河畔に位置する、ジョングレイ州の州都ボルから東へ約200キロメートルの距離にある。この幹線道路ですら、雨季には通行不能になる。

和解と平和に向けたUNMISSの努力にかかわらず、ヌエルのロウ部族は、2011年の年末に向けて、大規模な攻撃の準備を始めた。ロウ部族の武装集団は、「ホワイト・アーミー」(白軍)と呼ばれ、もともとは第二次スーダン内戦時に組織された自衛を目的とする武装集団であった。

ホワイト・アーミーは、たんなる武装した若者たちの集合ではなく、指揮系統が確立し、よく組織された、文字通りの軍隊である。多数は軍服を身にまとい、武器も、自動小銃だけでなく、携行できる軽機関銃や対戦車擲弾(てきだん)発射器(グレネードランチャー)を備えている。

12月になると6000名から8000名のホワイト・アーミーの部隊が行軍を開始した。南スーダン政府とUNMISSは協働して、なんとか攻撃を中止するよう説得を試みたが成功しなかった。

ピボールの町には数千名のムルレ人が避難していた。UNMISSは、歩兵部隊の全兵力の半分以上に相当する千数百名を、ヘリコプターでピストン輸送し、ピボール防衛の体制を固めた。12月末には、装甲車もようやく到着した。南スーダン政府軍であるSPLAも部隊を派遣した。