南スーダンで私たちが思い知らされた国連PKOの「限界」

それでも日本は情勢悪化を認めない…
栗本 英世 プロフィール

全力を尽くしたが、失敗した

2011年の設立から3年間、国連事務総長特別代表としてUNMISSを含む、南スーダンで活動するすべての国連機関のトップであった、ヒルデ・ジョンソンの回顧録『南スーダン、語られざる物語――独立から内戦へ』(South Sudan, The Untold Story: From Independence to Civil War)が、2016年に出版された。

これは、興味深く、重要な著作である。著者は国連PKOを擁護する立場にあることを割り引いても、UNMISSは、困難な状況のなかで与えられた任務を果たそうと全力を尽くしたことがよく理解できる。これを読んで、私のUNMISSに対する頭ごなしの否定的な評価は、再検討を迫られた。

しかし、重要な事実は変わらない。ジョンソン自身も認めているように、UNMISSは全力を尽くしたにもかかわらず、与えられた任務の遂行に成功しなかった。そして、南スーダンは内戦へとなだれこんでいったのであった。

ヒルデ・ジョンソンヒルデ・ジョンソン氏〔PHOTO〕gettyimages

国連にとって、ヒルデ・ジョンソンは、最良の人選であっただろう。彼女はノルウェーの政治家である。ノルウェーという国は、スーダン・南スーダン、およびアフリカと深く長いかかわりがある。

ジョンソンは、キリスト教宣教師の娘としてタンザニアで生まれた。オスロー大学では開発人類学を専攻し、30歳すぎで、キリスト教民主党の国会議員になり、2期にわたって国際開発大臣を務めた。大臣在職時には、ノルウェー政府を代表して、スーダン内戦の和平交渉の仲介役を務め、2005年のCPAの調印を見とどけた。

サルヴァ・キール大統領を含む、南スーダンの多数の政治家と個人的な信頼関係があり、南スーダンの歴史や社会に精通していた。彼女をもってしても、UNMISSは、十分に任務を遂行することができなかったのだった。

 

派遣されたばかりのUNMISSが直面した最初の難題は、ジョングレイ州の民族紛争であった。南スーダンは、内戦に突入する以前から民族間と民族内の武力衝突が、各地で頻発していた。

ほとんどは、家畜の掠奪をめぐるものだが、内戦の結果武器が拡散し、村人たちは自動小銃で武装しているため、死者が数十名から百名以上に達するような大規模な衝突も発生していた。

とくにジョングレイ州では、ヌエル人、ムルレ人、およびディンカ人という三つの民族のあいだで大規模な民族間紛争が進行中であった。

ヌエル人の場合は、おなじ民族内でも部族や氏族単位で武力紛争が発生することがある。とりわけ激烈な襲撃が行われてきたのは、ヌエルとムルレのあいだであった。

2011年の4月と6月には、ヌエル人のロウ部族がムルレ人を攻撃し、それぞれ200名と400名のムルレを殺害し、多数の牛を掠奪した。これらに対する報復として、8月には、ムルレがロウ部族を攻撃した。ロウ部族側の損害は、死者750名、連れ去られた女性と子ども数十名の、掠奪された牛4万頭であった。