「46人殺傷事件」その法改正は誤りだと、声を上げてもいいですか?

ある精神科医の警鐘
田中 圭太郎 プロフィール

いまも続く誤診

<植松被告は、今年2月24日に殺人などの罪で起訴された。横浜地検は起訴前の精神鑑定により、植松被告について人格障害の一種「自己愛性パーソナリティ障害」として、刑事責任能力があると判断した。しかし、改めて精神鑑定が行われる可能性もあり、初公判までには時間がかかるとみられている。>

今回の起訴も、極めて異常なことだと思っています。

まず「自己愛性パーソナリティ障害」というのは、アメリカの精神医学会がつくった極めてあいまいな障害名のひとつです。障害イコール精神疾患ではありません。

自己愛性パーソナリティ障害には、次の症状が示されるといいます。自分が重要であるという誇大な感覚を持ち、限りない成功にとらわれ、自分が特別であり、独特であると信じる。さらに、過剰な賞賛を求め、特権意識を期待し、自分の目的を達成するために他人を利用する……。

これは病気ではないと私は考えています。あらゆる人に多かれ少なかれ内在していることですから。「自己愛性パーソナリティ障害」という精神障害は、アメリカ精神医学会の委員会が提起した障害名にすぎません。WHO(世界保健機関)の精神障害の分類にも入っていません。にもかかわらず裁判に際しての鑑定でも、この「自己愛性パーソナリティ障害」が援用されました。

おそらく鑑定医は、植松被告を有罪にするために、困った挙句にこの病名を書いたのでしょう。誤診はいまも続いているのです。

そもそも植松被告は「精神保健福祉法」という法律によって、精神障害のために措置入院させられた患者です。国家権力によって「精神障害だ」と強制入院させておいて、事件を起こしたら、罪に問わねばならないため「精神障害ではなかった」と診断して起訴しているのです。日本では、事件を起こす前は他害のおそれのある精神障害だとみなすのに、大事件を起こすと「正常だった」となる。不思議な国です。

今回の事件は十分防げるものだったと思っています。その根拠は、植松被告が突発的に事件を起こしたのではないことです。少なくとも1年以上前から異常な言動をして、障害者を差別する発言をして、施設も困っていたわけです。どうしていいかわからずに警察に相談もしています。

植松被告が警察に保護され、措置入院した時点で、まっとうな精神医学的治療が行われていれば、あの痛ましい事件は防げたのではないか……。私はそう考えます。

精神科医療の現実を見つめ、それを変えようとしない限り、事件の再発防止につながらない。さらに社会を不幸にする法律が増えてしまうだけなのです。